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「目等家族、なんでこんなに多いのか、どこへ行くのもおおにんずうだ」
――これは、4年前の夏の青少年練成会(合宿形式で生長の家の教えを学ぶ青少年の行事)で、小学6年生(男子)の参加者が、わが家の子供たちを見て作った歌だ。
確かこの練成会には、わが家から5人の子供が参加した。現在は22歳の長女を頭に5歳の息子まで3男4女、7人の子宝に恵まれている。これもひとえに生長の家のみ教えのお蔭だと感謝している。
生長の家が子だくさんを奨励しているわけではない。ただ、“子宝”と言う言葉があるように、「夫婦に“縁”あって新たないのちが宿ったからには、自ずとそこに父として母としての使命が備わり、喜びと共に親としての責任を自覚して、子供を神からの授かりもの(宝)として大切に育てさせていただく」という、実に自然なアタリマエのことである。
〈何故その父母のところへある子供の霊魂が下生するかというと、それは決して偶然なんかじゃありません。あらゆる霊魂の中で一番その父母にふさわしいものが、その父母のもとに生まれてくるようになっているからです〉(生長の家総裁・谷口清超著『父と母のために』27ページ、日本教文社刊)
かつての日本では、10人以上の子供がいる家庭も珍しくなかったようだ。昨今の“少子化傾向”の時代では、それに逆行するような子だくさんの大家族が脚光を浴びる。日常生活を紹介するだけで、テレビ番組になってしまう。時折、この手の番組を見ることがある。家の中が整理されず、散らかし放題の様子が画面に映し出される。
「みんな同じだわ!」と、家内は多少大きな声でホッとしたように独り言を言う。この“独り言”には、「なかなか家が片づかない(自分自身への)嘆きと、家族への整理整頓を促している」意が込められている。私も子供たちも、それを知ってか、その言葉には無反応を決め込む。
わが家の第一期ベビーラッシュは、昭和55年から60年までの5年間。この間に4人を授かった。第二子から第四子までは、学年が連続する年子である。新しい家族が増える喜びは何にも代え難い。昭和生まれのこの
4人の子を、夫婦間ではAグループと呼んでいる。
ちなみに、Aグループの最後の子供から六歳離れた第五子以降の平成生まれの3人がBグループである。
夫婦の「深夜デート」
16、7年ほど前のこと、そのころ生長の家青年会の会員だった私は、青少年練成会をお手伝いさせていただいていた。職場の休日を工面しては、練成会の運営に携わった。長女がまだ幼稚園児であった夏のある日、私は青少年練成会に出かけようした矢先、「夏風邪を引いた」と言って朝から布団を被って寝ていた妻の声が、掛け布団の中から聞こえてきた。
「他人の子供ばかり面倒みて、ウチの子供の世話もしないで、何が練成よッ! 人類暗黒化運動に行ってらっしゃい!」
――妻の布団の周りには4人の乳幼児がいた。生長の家の「人類光明化運動」のためにという思いばかりで、家族をほとんど顧みていなかった私には返す言葉がなかった。私の頭の中は、明日からはじまる練成会運営のことで一杯で、妻の心を思いやるゆとりがなかったのだ。妻は子育てに疲れ、溜まっていたストレスが爆発したのだった。子供は夫婦で育てるものなのに、私の妻への理解が乏しかった。妻は「私も光明化されるべき人類の一員よ」と叫んでいるようであった。
大切な役をいただいていた私は、だからといって練成会を投げ出すわけにも行かず、急いで近くのコンビニエンスストアでカップ麺などのレトルト食品や飲み物を買い、妻の枕元に申し訳に置くと小さな声で「行って来るから」と言って、練成会に向かった。
翌年夏の青少年練成会。運営委員に妻の姿があった。下の二人の子供を祖母に見てもらい、上の子2人を連れて親子4人で青少年練成会に参加した。
「人類暗黒化……」事件以来、二人だけの落ち着いた時間を作るよう努力した。それは、家の近くの深夜営業している喫茶店であったり、屋台のラーメン屋であったりした。当時のわが夫婦にとっては、こんな“深夜のデート”も新鮮なゆとりの時となった。その“二人の時間”での話も、詰まるところ「子供のこと」になるのだが。
1、2時間後、家に戻ると年上の子がしっかり下の子の面倒を見て、寝かしつけてくれていた。子供たち兄弟姉妹の関わりの中で、親として実に多くのことを、笑いと感動とともに学ばせていただいている。まさに子供は“神からの授かりもの”に他ならない。子供に尊敬の念をも持つようになれた。これも生長の家のみ教えのお蔭と感謝している。
<<夫婦の仲が悪くて喧嘩ばかりしている家庭か、それとも夫婦調和している家庭かどうかで、子供達の様子はすっかり変わります。子供達の幸福は、父母の仲のよい生活を抜きにして考えることはできません。だからどうしてもお父さんお母さん方は、幸福な仲のよい生活を送る責任があるのです>>(前掲書、99ページ)
「父」「母」と呼んでくれるのはわが子だけ。「父よ母よ」と呼ばれるほどに、親としての深い喜びと味わいを感じている。
本文冒頭の、歌を詠んだ子は、男
4人兄弟の末っ子。彼の家とわが家が多少なりとも重なって見えたのかも知れない。
※このエッセイは、月刊誌『白鳩』平成14年7月号の「信仰随想」のコーナーに掲載されました。
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