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春の日差しのまぶしい朝、我が家に六番目の「神の子」が誕生した。上の子達が、新しく買ってきた人形の様に代わる代わる抱いているのを、はらはらしながら見ていた頃、産院から、新生児の血液検査の結果が思わしくないので、再度検査を受けるようにと連絡があった。
上の五人目までは何の異常もなく、出産時に血液採取をしていたことすら知らなかったが、妻は指定された病院へ新生児の血液検査に行った。しばらくして届いた通知には要再検査とあり、今度は総合病院に行って検査を行うようにと記されていた。妻は首もまだすわっていない新生児と、幼いその上の息子を連れて電車とバスを乗り継いで、指定された病院に行って検査を受けた。
すると、またしばらくして総合病院から、今度はかなり遠方の国立小児病院に行くようにと、要再検査の通知が来た。
生まれたばかりの子供から何度も血を採っては、たらい回し的に他の病院に行って検査せよとは何事だと、私は病院の怠慢の様な気がして、今度要再検査の通知が来ても行く必要はない、などと妻に話していた。
しばらくして保健所から、話したいことがあるので父親の私に来てもらいたいと連絡があった。何事だろうと思って行ってみると、担当の医師から、我が子の異常が宣告された。医師の話によると、日本では大変少ない先天的(遺伝的)な異常体質で、運動障害を起こしたり、手足の関節が発達しない(身長が伸びない)「先天性代謝異常」とのことだった。私は、「そんなに低い確率でも当たるなら、今宝くじを買ったら当たるかも知れませんね」などと冗談を言うと、医師は私の顔をしばし見つめ、少し強い口調で「とにかくお嬢さんが普通の体質でないことを、まずお父さんが理解し、覚悟を決めていただく必要があります」と言った。そして、同じ病気の子供を持つ親同士が励まし合う会があることや、現代医学をもってしても治らない病気があることなどを話して下さった。
一通り説明を聞いて、保健所を出たものの、私はまだよく理解できていなかった。しかし、プラットホームで電車を待ちながら、子供の成長とともに体験するであろう様々なことを想像しているうちに、事の重大性にようやく気づき始め、さすがに愕然としてきた。
このことを妻に何と報告すべきか、幼い子を抱えてショックで体調を崩されでもしたらどうしよう。正直に話すべきか、取りあえず何ともなかったと言うべきか、などと考えているうちに、いつの間にか家にたどりついていた。
ちょうど妻は、布団にすわって子供にお乳を与えていた。
妻から「どうだったの」と尋ねられ、私は医師から言われたままを正直に話し「まともな一生は送れないかも知れない」と言った。
静かに話を聞いていた妻は、お乳を吸っている子供を見つ めながら「この子は、幸せな子だわ」とつぶやいた。私はよく理解できず、「今、何て言った、何が幸せなの」と尋ねた。すると妻は「だってお父さん、そうじゃない、この子はうちに生まれてきたんだもの、信仰のある家庭に生まれてきたんだもの、こんなに幸せな子はないわ。本当によかった……、お母さんが大切に育てて上げるから、あなたは何も心配しなくていいのよ」と言って子供を抱きしめた。
私は、この妻の言葉に、心から同感し、励まされた。よりによって子煩悩夫婦の我が家に生まれてくるとは、何と幸せな子だろうと、つくづく思った。また、私達夫婦は生長の家のみ教えによって、人間の本質は貴い神性仏性で、その神性仏性が地上生活を送るための宇宙服が肉体であり、肉体が人間そのものではないことや、不自由な肉体を選んで生まれて来る魂は、周囲の人々を導き、生長させるために、想像を絶する決意と深い愛を抱いて生まれて来る、高級な魂であることなどを教えられている。
普通に成長して、学校を卒業して、結婚して、子供を産んでと、そういう当り前の人生も貴い人生なら、人と少し違う人生も、これもまた人生学校の魂の修行という観点から考えれば掛け替えのない、貴い人生ではないか。どちらが良いとか悪いとか、その様なことが果たして言えるだろうか。我々の家庭に生まれて来たのも、きっと何か深い理由があるに違いない。それなら、人から決して後ろ指を指されることのない様に、心を込めて大切に立派に育ててみせようと決意を固めた。
その後、しばらく長期出張して帰宅した私に、妻は「お父さんが出張中にとても良いことがあったんだけど、言おうかな、やっぱり言わないでおこうかな」などとおどけながら、その後専門病院で行っていた血液検査の結果が、完全に正常値に戻っていたことが確認されたと、満面に笑みをたたえて報告してくれた。
私は娘の異常は良いことなのだ、素晴らしいことなのだと確信し、頑張るぞと完全に決意が固まっていたので、その話を聞いて、何か拍子抜けしてしまって「あっ、そう」としか言葉が出なかった。妻が「お父さんは、嬉しくないの」と言うので、「別に、俺はどちらでもいいと思っていたよ」と、またそっけない返事をしてしまった。
あれから既に10年の歳月が流れた。あのときの子は、マラソンの金メダリストになるのが夢だという元気な少女に成長した。
先日、その娘が「お父さん、競走しよう」と言うので、2キロ程の道を二人で走った。これまでも時々子供達と同じ道を走っていたが、私は途中息切れして、何とこの小学四年の娘に大差をつけられて負けてしまった。ゴールの我が家の前で、娘は満足そうにニコニコしながら私を待っていた。
※このエッセイは、月刊誌『光の泉』平成14年9月号の「信仰随想」のコーナーに掲載された
ものです。
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