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●≪解説≫
子供に対して「幸せとなって欲しい」という願いは、親として当然の願いです。しかし、それが執着となってしまう時、親の思いが子供にうまく通じなくなる事があります。そんな時は、神様にお任せ(全託)すると、かえって全てがうまく運び、状況が整うものです。
生長の家創始者・谷口雅春先生は次のようにお説きくださっています。
《十一月三十日の法語 与えよさらば与えられん
子供が重病に罹って医者が手を放した様な場合に、「神よ、この子を是非いやし給え」と祈るよりも、「神よ、御心のままになし給え」と完全に神に対して、自分の子を与えてしまった方が、癒える事が早い。何故なら、「是非いやし給え」と祈っている時は、その子の親の執着が子供の生命を縛っているけれども、神に与えた時には執着で子供の生命を縛る事がない。》
(新版 『光明法語』〈道の巻〉、294頁)
物事の解決を神に全託する「神よ、御心のままになし給え」という祈りは、執着から離れた純粋な祈りです。自分の執着を放ち、その結果を完全に神様に対して委ねてしまうことは、子育てに限らず、全ての祈りにおいて共通する重要事項であるといえるでしょう。
私は、平成15年に生長の家宇治別格本山に奉職しました。奉職後、楠本加美野・総務から「毎日欠かさず、家族の名前を一人一人あげて、『神様、○○をお使いください』と祈っている」という話を伺いました。それ以来、私も「神様、御心のままに私の家族をどうぞお使いください」と祈り続けてきました。その祈りをひたすら捧げたのが末一稲荷神社であり、そのお社の前こそが 、あの日長男が救われた場所であったのでした。
現在長男は小学1年生で、今春2年生となります。その後、授かった2人の弟たちの“お兄ちゃん”として怪我も病気もなく、元気いっぱいで毎日過ごしています。
来る2月6日に、末一稲荷神社におきまして初午祭(稲荷神社のお祭り)が行われます。末一稲荷神社の前を通るたび、長男が救われたあの日の感動が、感謝とともにありありとよみがえります。 |