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●≪解説≫
妻がまだ妊娠中のころ、わが家に1枚の葉書が届きました。差出人は妻の母で、文面には「神の子は、神が育て給う、御心のままに」と書かれてありました。私はそれを見て、ハッと気付かされるような思いがしました。その時の私は、妊婦健診に付き添う中で聞いた「(胎児が)少し小さいですね」という助産師の言葉にとても囚われていたのです。そのため「今日はどうだろうか、今日はどうだろうか」と受診の度に胎児の成長が心配でなりませんでした。そんなとき、葉書の言葉によって、神に全托する心を忘れていた自分に気が付いたのでした。そして「神様が育ててくださるんだから大丈夫」と心配するのを止め、その後は毎日の祈りを通して、大安心でわが子の成長を見守ることができました。
さて、『児童教育に関する神示』には次のような言葉があります。(「神示」とは生長の家創始者・谷口雅春先生に神から示された言葉です)
《こんな取り越し苦労が起こるのは、子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。人間の子だと思うものは終生、取り越し苦労をして育てねばならぬ。子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬してできるだけその世話をさせてはいただくが、神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要ないのである。》(『新編 聖光録』、61〜62頁)
私たち夫婦が初めて産婦人科を訪ねたとき、授かったばかりの胎児は僅か0.3mmでした。それが約10カ月後には50cmの大きさとなって外に出てきたわけですから、その成長には本当に驚かされます。生長の家では「子供は出産の時に生まれたのではなくて、妊娠したその刹那にその生命は地上に受胎したのであります。この受胎の時をもって子供の生命の地上出産だと認めなければなりません。(『生命の實相』頭注版第40巻、72頁)」と教えられています。私たち夫婦も尊い生命を授かり、胎教に取り組み始めました。と申しましても、特に変わったことをしたのではなく、毎日の神想観実修、聖経読誦をお腹の中の子供と一緒に行いました。妻は他にも私が仕事に出た後で、朗読CD『日々の祈り』や『生長の家聖歌合唱集』CD版を胎教のために聴いていたようです。
谷口雅春先生は、ご著書『生命の教育』で次のようにお示しくださっております。
《嬰児の自覚意識にその意味はわからないけれども、読む人がその意味を理解しているので、その気持ちの良い、楽しい詩のリズムが、読む人の精神波動を通して、その言葉の響きを通して子供の潜在意識に通ずるのであります。》(『生命の教育』、20頁)
少し前の話ですが、泣いている子供を抱っこしたら急に泣き止んで大人しくなりました。私は「自分の抱き方が上手になったのか」と思い、とてもうれしくなりました。ところが、ふと子供を見ると、体をそらし、どこかに意識を集中させています。どうやら、その方向から流れてくる朗読CD『日々の祈り』を耳を澄ませて聴いているようなのです。もしかすると妻の胎内でしっかり聴いていたのかも知れません。その穏やかな表情から、妻が妊娠中の生活をいかに大切に過ごしてきたかがよく分かり、妻に感謝と尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。長女の出産を通して、夫婦が調和して協力しあうことの大切さを学ばせていただきました。これからますます家庭を光明化してまいりたいと思います。 |