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●≪解説≫
今回の体験で私が反省させられたことは、大きく分けて二つあります。一つは頭ごなしに怒鳴ってしまったこと。もう一つは子供達を平等に扱わなかったことです。一つ目のことについては、生長の家創始者
・谷口雅春先生の御著書『生命の実相』頭注版
第14巻「倫理篇下/教育篇」の133頁に、次のように説かれています。
《子供においては、善とは静かなる調和ではない。生命にみちあふれた子供が噪がしいのは必然である。生長しつつあるものが喧(やかま)しいのは当然である。構造されつつあるものは必ず噪(さわ)がしい。工場はものを構造する所であるがゆえに騒然としている。大工の家をたてるにも戞々(かつかつ)たる響きがきこえる。生長と構造とには必ず騒がしさが要るのだ。
「やかましい、静かにしておれ」この心なき叱責が今までいかに多くの家庭において子供の生長を害してきたことだろう。
子供のさわがしさを叱る者は生命の生長に重大な障礙(さまたげ)を置く者だ。子供の伸びようとする生命はおさえられて浪費する。かかる抑圧が永続的に行なわれるときそれは浪費される以下である。なぜなら生命の発露を常におさえつける習慣をつけるとき生命は萎縮するからである。使わない能力は発達しない。使わない生命は生長しない。いな、それ以下である。》
私は「近所迷惑だから」とか「テレビの音が聞こえない」という自分の立場のみを基準として、相手の立場−−ここでは「授業参観で友達とピアノを弾くかもしれないから練習したいという気持ち」や、「ピアノを習いたいという気持ち」の発信−−をまったく考えていませんでした。そのため、「ピアノが上達するかもしれないという“長女の未来”」だけでなく、自信や感情表現の発達、さらには繰り返し練習する大切さを学ぶ芽も摘み取ってしまうことにもなりかねませんでした。
その中で、私にとって幸いだったことは、長女が“部屋に引きこもる”という信号を発してくれたこと、そして前述のような“生長の家の教育法”を学んでいたことでした。
また、子供を平等に扱わなかったことについて、谷口清超先生は御著書『親と子の愛について』の12頁に「子供達への愛は平等に」と題して次のように説かれています。
《息子も娘も、どんどん成長しますね。アッという間に、もう手のとどかない高い所まで行ってしまう。けれども、何といっても、小さい頃の教育や育て方が、後々まで影響する。だから、小さい息子や娘たちを、素直に、正しく、そして明るく成長させて行っていただきたいと、心からお願いします。
そのために、一つ、とっても大切なことがあります。それは息子や娘たちを、決して“差別”して育てないということです。子供たちには表面的に多少の差があるように見える。
兄よりも弟の方がよくできるとか、姉の方が弟よりも大人しくてよいとか。しかしそれは一時的な、表面的な、見せかけの姿であって、決して本質的なものではないのです。
(中略)人間は本来「神の子」であって、すばらしいものを持っている。しかし同時にまた各人には個性がある。だから兄弟でも大いに違っているのです。その「違い」を、よい、悪いの違いとして見ず、質のちがいとして見てもらいたいのです。「どちらもすばらしい神の子だ」と、実相の個性的差異としてとらえ、お互いを礼拝して同じように愛し育てて行かれるならば、どの子もどの子も皆それぞれの個性を充分発揮して、立派なたのもしい社会人に成長してくれるにちがいありません。》
私は、プレゼントを与えることが子供を平等に扱うことだとは思いません。しかし、プレゼントを与えるという行為の中には、“親の愛情”が込められていると思います。子供には、五つの欲求があるといいます。@愛されたいA認められたいBほめられたいC役に立ちたいD自由になりたい、の五つです。とりわけ“@愛されたい”という欲求は、子供にとって切実なものです。
誕生日や進学の時期は兄妹といえども同じではありません。ですから、兄妹の中で一人だけプレゼントがないというような時もありうるわけです。そんな時、プレゼントが渡らない子供に対しては、親が特に多くの愛情を注いであげることが大切だと思います。
加えて、日頃から子供と多く接することにより、子供から出される五つの欲求の信号をいち早く感じ対応してあげることも、親として大切なことであると改めて実感しました。 |