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●≪解説≫ 

  生長の家では、「目には見えない、いのちそのものが本当の私であり、人間である」と考え、「人間は神の子であり、すばらしい神性・仏性が宿り、そのいのちには無限の可能性がある」と説きます。しかし、現実を見ると希望を実現し、順調な人生を歩んでいく人がいる一方で、努力しても失敗や挫折を繰り返し、ついには希望を持つことさえ諦めてしまう人もいます。 生長の家創始者・谷口雅春先生は、希望を実現するためにまず大切なことは、その希望がどこにあるのかを知ることであるとして、次のようにお説きくださっています。

 (前略)希望とは、一体何処にあるのであろうか。 私たちが切実に実現したいとこいねがう希望は、それが真に切実なものである限りに於いて、それは自己の内に「既にあるもの」が内部から押し上げて来るのであって、本当は外にあるのではないのである。それが既にあり、既に内部に実現せるがゆえに、それを外に表現せずにはいられなくなって、「希望」とか「理想」とかいう形をとって、表面にあらわれて来るのである。
            (新版『希望を叶える365章』、はしがきより)

  私と妻の切なる希望は、「長女に宿る実相が顕れて、希望・喜びに満ちた神の子の人生を歩んでくれる」ことでした。子供に本来宿る神性・仏性を礼拝・感謝して、祈りとコトバの力によって、その内在する無限の可能性を引き出すことは、親にとって、とても大切なことなのです。
  生長の家には「唯神実相」「唯心所現」という二つの根本的な教えがあります。「唯神実相」とは「本当にあるものは神と神によって創造された円満完全なもののみであり、神が創造された人間の実相は円満完全である」という教えです。「唯心所現」とは、環境は心の影である。すなわち、心に描くものが現れるという法則です。
  谷口雅春先生は『生命の實相』第14巻の中で、「実相が善であり、実相のほかに何物も無きがゆえにこの実相を見るようにすれば、人間はひとりでにその本来の完全な相が、自分自身にも、また対者にも、家族全体にも顕われてくるのであります」(同書、101頁)とお説きくださっています。また、谷口雅春先生は「人間は肉体ではない。霊的実在である。この事実を深く心に自覚せしめるための行事が神想観である」(新版『詳説 神想観』、17頁)とお説きくださっています。
  私は妻と共に、長女の反抗的というマイナス面にとらわれることなく、惑わされることなく、生長の家独特の座禅的瞑想法である「神想観」を実修し、長女の実相を拝み、感謝する生活を続けました。その結果、現象面で“長女の反抗”という姿が現れてあるように見えても、「人間は、皆すばらしい本質を持っている神の子である」という真理を改めて学ぶことが頂きました。

  受験に際して、長女は“看護学生希望理由書”の中で次のように書いています。 「私が中学1年生の時、一番下の弟が生まれた感動が今なお新鮮で、新しい生命が誕生する感動や、命の尊さをたくさんの人に伝えたいとの思いで、看護士・助産師になることを決意しました。近年、少子化が進む一方で、助産婦不足や出産できる病院の減少が、出産難民を生む大きな原因ともなっています。私は女性が安心して出産できる環境に貢献し、人の命の尊厳を大切にできる助産師を目指したいと思います」

                                                        (平成20年11月26日記)

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