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●≪解説≫
平成11年2月、歩子が生まれた時、4人目にして初めての娘ということで私は嬉しくてなりませんでした。ところが、間もなく知的障害と心臓病などを合併するダウン症と診断され、妻ともどもその時は“お先真っ暗、地獄の三丁目”といった心境でした。
それをきっかけに、私は自らの信仰姿勢を省みて、真剣にみ教えを行じ、妻への愛情表現や家事の手伝いを心がけるようになりました。また、週1回の休日には歩子のリハビリ訓練のため、療育施設に通い始めました。そうした中で、私は「歩子が、父親として夫としての私の愛を引き出してくれたのだ、よくぞわが家に生まれてきてくれた」と感謝の思いに変わることができたのです。この娘は私たち夫婦の観世音菩薩として、私たちの心を正しく神様のみ心に振り向かせてくれた天使だったのです。
生長の家では、「人間は肉体ではなく霊的実在であり、神の生命そのものである」と教えています。人間の価値が肉体の美や知能の高さや富の多寡などの唯物的な価値だけで計られるならば、それを持たない人間は価値がない(低い)といえます。しかし、表面の心ではそれらを欲していても、心底では「でも、それだけではない。もっと尊いものがある」という思いを持っているのが人間です。これが人間の本心(神の心)なんですね。
歩子は肉体的、知能的には不自由な姿で生まれました。でも、その姿を通して私たち家族に本当の愛を引き出す機会を与え、さらには、神様からいただいた素晴らしい生命をそのまま生きている事実をはっきりと教えてくれたのです。本文に書いたように、最近はしっかりと歩けるようになり、笑えるようになりました。そして最近はワル知恵まで使って私に甘えるようになりました(笑)。まさにこれほど生き生きと神様の生命を生きている証はないと思えるのです。
最近、私は朝の神想観の中で、家族一人一人の顔を思い浮かべて、「神様、今日もわが家族一人一人に、あなたの無限の智慧、愛、生命を流れ入らしめ給いて、今日一日を守り給う、導き給う」と数回、念じて一日をスタートしています。これで毎日、家族が神様に祝福され、守られて、それぞれの天分が発揮できると確信をもって出発できるのです。私も日々の教化部の仕事に、自信と勇気をもって臨めるというわけです(笑)。
最後に生長の家の「智慧の言葉」の中から次の一節を紹介させていただきます。
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済んだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。「今」は常に生きている。「今」 の中にあらゆるものが輝いている。「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちてい る。過去にどんな悲しいことがあったにしても、それに就いて思い煩うな。「今」天地 は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。過去に寒風に吹き曝された ことを歎かないで、「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。梅の花よりも尊く強 く逞しきが人間である。喜ぶべきことしか無いのが人生である。
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(谷口雅春先生著『新編
聖光録』237頁より)
(平成18年12月27日) |