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私は昭和61年7月、26歳の時に生長の家の御教えに触れ、平成元年11月に京都府宇治市にある生長の家宇治別格本山に奉職させて頂きました。平成4年3月に結婚し、現在は長男(中3)、長女(小6)、次男(小4)の3人の子供がいます。
私の父は、私が小学4年生の時、病気で他界しましたので、それ以後の父との思い出がないこともあり、長男と長女が思春期を迎えた今、子育てに戸惑っている面もあります。現在、長男と交わすコトバといえば「おはよう」「行ってらっしゃい」「行ってきます」「お帰り」「ただいま」ぐらいで、お互い笑顔を交わすこともありません。長男との最近の思い出といえば、中学1年の時に嵐山までのサイクリングロードを2人で自転車で走破したことです。それ以降は、だんだん反抗的になり、現在に至っています。
長男は、平成6年3月に誕生しました。生まれる前から、家内がお腹に巻くさらしに、聖経『甘露の法雨』を写経し、安産祈願を宇治別格本山の宝蔵神社にお願いしました。長女、次男の時にも同じことしたのですが、長男は、私たち夫婦にとって最初の子供でしたので、周りの方々にも大変可愛がって頂き、今思うと、かなり舞い上がっていました。
長男が生まれると、「亡き父も私をこのように可愛がって下さっていたのか」と父のことが思い出されてくるようになりました。亡き父との唯一の思い出は、私が小学1年の時に父に連れられ観戦したプロ野球でした。私の名前の哲治(てつじ)は、プロ野球の大好きな父が巨人の川上哲治(かわかみてつはる)さんの名前を真似てつけたものです。名古屋の近郊に住んでいた私は、中日球場(当時)に中日対ヤクルト戦を観に行きました。野球のことは何も分かりませんでしたが、ナイターで芝が照明に照らされ、とてもきれいであったことや、ヤクルトの外国人選手の名前は今でも覚えており、そんな思い出が今でも宝物になっています。私にとって父は“父親としての理想”となっています。
長男にも私自身が経験したような思い出を作ってやろうと思い、長男が小学4年生の8月に、甲子園へ高校野球を観に行きました。その影響からでしょう。長男が小学5年生の6月から少年野球を始めるようになりました。中学に入学してからも、クラブ活動で野球を続け、3年生の最後の夏の大会まで、朝7時30分からの練習、授業、授業後の練習、帰宅してから夜9時まで塾での勉強と頑張り続けていました。結局レギュラーにはなれませんでしたが、最後の公式試合で最終回に代打で出場し、初球をセンター前にはじき返し、1点を返しました。私は亡き父の後押しがあり、打つことが、出来たのだと実感しています。さらに幸運なことに試合の終盤に球場に駆けつけることができ、私は妻、次男とともに最後の打席を見届けることができたのでした。
練習試合も含め、長男が打席に立つのを観るのは初めてでしたが、試合の直前には、掌の皮がめくれていたので、本人はかなり練習したようでした。そんな長男のひたむきな姿に、父親として感動しました。残念ながらチームは負けましたが、長男にとっては、一生の思い出でになったのではないかと思います。
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