| ●解説>> この話を書きながら、当時の私の生活を振りかえってみました。子供の教育は妻にまかせっきり
だったなあ、とつくづく
反省しました。若いときには呉の造船所に勤め、一生懸命働き、家には夜遅
く帰っていました。また30代後半になると生長の家の広島県教化部に務めるようになり、今度は生
長の家の教えを伝える運動に没頭していました。休日も家にいることは
めったにありませんでした。
それは丁度、高度経済成長期にモーレツに働いた平均的日本人男性であったといえるかもしれません。
子
供と話す時間や遊びに行くこともほとんどありませんでした。東京の生長の家本部に勤務するように
なってからもその生活
は続いていたのです。そんな時に次男の問題が起こったのでした。

やはり、このような問題が起こった時には「お父さんの出番」となるわけです(妻に迫られたこと
もありますが・・・)。
問題の解決には、まず父親が自己の問題として受けとめることから始ります。
もし、仮にこの場面で問題の解決を妻に任せて自分は仕事を理由に逃げたらどうなるでしょうか。
子供は帰る場所ときっかけを失ってさらに遠くに行ってしまったでしょう。それに妻からも頼り甲斐
の無い、問題解決能力の無い夫という烙印を押されてしまうはずです。
さて、私は「次男がもし帰ってこなかったら・・・」という心配と不安な気持ちでしたが、神様に
祈ることと生長の家の
お経である『甘露の法雨』を読むことにしました。これは不安な心を去って、
神様の無限の愛に波長を合わせることになるわけですから、よい行動であったと言えます。子供の心
を変えるには、子供を責めても無駄です。親の心が変らなければ
なりません。その親の心から不安と
心配の念を取り去るのに、祈りと聖経読誦はとてもよい行動だったといえるでしょう。

それから、次男が家に帰ってきた時、これも妻から背中を押されるようにして子供の部屋に入りまし
た。何を話すべきか、こんな時、普段親子の会話がなかったというのはとてもハンデキャップがあり
ますね。やはり普段から親子の会話をしておくべきだったと思います。そこで私がした話しは次男の
出産の時の苦労話でした。これは満員電車が嫌で広島に帰りたいと言い出した次男の悩みの解決策と
はまったく関係のない話しでした。しかし、父として子供を深く愛していることをどうしても伝えた
かったのでした。生長の家では、神は無限の愛であると同時に、無限の智慧でもあると説かれています。
ですからその
神に祈ることによって、神の善き智慧に導かれることになるわけです。その内なる神の
導きによって次男の出産の時の話しが出てきたのでしょう。
生長の家総裁、谷口清超先生は、父親が日常生活の中で知恵と愛を表すことの大切さを次のように説
かれています。
<<鳥類でも、南極に住むペンギンは雄が卵を抱いて育てている。又タツノオトシゴなどは、「雄が妊娠
する」のだ。勿論雄は
卵巣や子宮を持たないが、子供が雄の体内からある種の栄養分を補給され、それ
らを腹の外側の袋にいれて子育てをする。このような能力を肉体人間に対して持てと要求するのではな
いが、少なくとも精神的には「子供の教育の根本は父親にある」ということは事実なのであって、「子
は父の背中を見て育つ」のである。父が休日にどのようなくらし方をするか、日常生活で
どのように家
庭や社会への智慧と愛とを現しているかとということが、子供を善くもするし、又悪くもするのである。>>
『生と死
の教え』 (日本教文社刊)
私は、この息子の出産の時の話によって次男が広島に帰ることを止め、元通りに学校に通い出したと
思っています。次男は次男で違った理由で気が変ったのかもしれません。今度、彼にその時の事情を
聞いてみることにしましょう。
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