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プロフィール

 今回は、第一回の講義から5年ほどビデオテープを巻き戻してから話しをはじめます。

 生長の家青年会の運動を一生懸命にやっていた私は、やがて人類光明化運動に一生を捧げたいという思いが募ってまいりました。そして、昭和50年に石川島播磨重工呉造船所を円満退職し、15年間の造船マンから生長の家広島県教化部に奉職。住まいも呉市から広島市に移ることになりました。
 その時、長男が高校1年、次男が小学校6年生でした。転校後、友達が少なく寂しそうだった次男の哲也は、次第に新しい環境に慣れて中学に進み、野球部に入って毎日元気で遅くまで練習を続けておりました。 

 ある日、宿泊して真理の研鑚や宗教行を実修する「相愛会一泊見真会」の運営のために、生長の家呉道場(呉市)に来ていた時のことでした。初日の夜、家内から必死の声で電話がかかって来ました。

母親:「貴方、哲也が大変です。直ぐ家に帰って来て!」
父親:「哲也に何か? まあ、落ち着きなさい。」
母親:「哲也が右眼を怪我して失明するかもしれないのよ。」
父親:「怪我って、眼をどうしたの?」
母親:「今夜、野球のグローブを自分で補修していて、目打ちの代わりに使っていたコンパスの先で誤って右目を・・・」
父親:「それは大変だー、直ぐ医者に連れて行きなさい。」
母親:「貴方は当てにならないから、救急車で病院に連れて行きました。でも今日は土曜日でだめで、運悪く広島市内の眼科医の殆どが東京の眼科医学会に出席中とかで、どこも受付てくれなかったのよ。」(受話器の向こうで泣く声)
父親:「それで、医者は何と言った?」
母親:「看護婦さんが『今夜は眼を冷湿布しなさい』と・・・」
父親:「そうか、お父さんは今夜帰れないから冷湿布を頼む。そうだ、私は今から呉道場で『甘露の法雨』を読むから、お母さんも哲也の側で『甘露の法雨』を読誦しなさい。」 

私は直ぐに『甘露の法雨』を3回読誦し、哲也の眼の快復を祈る神想観をして床につきました。翌日、昼まで行事を行い、急いで自宅に帰りました。
 そして、明けて月曜日に私の運転で、眼を冷やしたままの哲也と家内を乗せて、市内の広島日赤病院で診察を受けました。 

医師:「傷が黒目を抜けて水晶体までいってますね。負傷してから40時間以上経過しているので手術しても駄目でしょう。」
母親:「貴方、早く先生に手術を頼んで」
父親:「先生、何とか手術をお願いします。」
医師:「落ち着いてください。一応手術をしますが、駄目な場合は覚悟しておいて下さい。」 

 担当医師の「覚悟しておいてください」という言葉に、私は目の前が真っ暗になり、体中が震えて止まりませんでした。家内は傍らで只泣いているばかりでした。私は子供と家内の肩に手をかけて「神様、神様」と心の中で念じて、一切を神に全託する決意を固めました。この時です。写経せよ≠ニ閃いたのです。

早速、生長の家広島県教化部に帰り、「大調和の神示」を白布に写経して病床に持参し、子供に「お父さんが写経した神示を眼の上に掛けてあげるよ。お医者さんからも『手術したら見えるようになる』と言われたよ」と励まして手術室に送ったのです。

 3時間半の手術中、病院の廊下で私と家内はただ聖経『甘露の法雨』を繰り返し読誦しておりました。ところが、手術の終了後、担当の医師にも会うこともできずに家に帰るはめになりました。帰宅する車中で、運転する私に家内が噛みついて来ました。 

:「貴方は何故、もっと早くお医者さんに手術の結果を聞かなかったんですか?」
:「でも、手術後に受付に行って担当医に面談を申し込んだら、もう担当医は病院から帰った後だったのだよ。」
:「それは貴方がグズグズしていたからです、いつも貴方は肝心なときに役に立たないんだから・・・」
:(無言)

やがて車が家につきました。

:[貴方、早くご先祖様に哲也の眼の手術をご報告して良くなるようにお願いしましょう。」
:「そうだね。」

 二人で仏前に座り、哲也の眼の手術を報告してから、聖経を読誦しました。続いて家内と二人で『甘露の法雨』を一晩中写経し、私は宇治別格本山に奉納する手続きをとりました。家内は写経を病院に携行することにしました。 

 その翌日、二人で写経したお陰か、私と家内は昨日とは打って変わって仲良くなり、私の運転で病院に駆けつけました。家内は写経した白布を畳んで、哲也の枕元に入れてやりました。やがて担当医が病室に来て、哲也の眼帯を取ってくれました。私は不安と期待が入り交じっていました。

眼帯を取った哲也は、「眼の前が明るい」と言い出しました。その時、視力が0.2まで見えたのです。医師からも「大丈夫、手術は成功だ」と言われ、思わず私達はその場で「神様、万歳、万歳」と叫んだのです。
 それから哲也の眼は日毎に快くなり、10日目に視力が1.2まで回復する順調ぶりで、その日に退院することができました。元気を取り戻した哲也は、親の心配をよそに再び野球部に戻り、生き生きとした中学生活を送るようになりました。(平成14年7月17日記)

イラストレーション 小関隆史

++解説++

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