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ある日突然
私には男4人、女1人の子供がいます。その中の次男が中学2年の時、急に学校に行かなくなりました。それは夏休みも終わり2学期が始まる日の朝のことでした。
登校時間になっても準備しようとしない次男に、妻が「早くしないと学校に遅れるわよ」とせかすと「僕、学校行かない」という言葉が返ってきました。妻は突然のことに驚いて「何かあったの?」「友達にいじめられたの?」と聞いても次男は理由を言わず、ただ首を横に振るだけでした。
出勤前でしたので、妻に「大丈夫だよ、体調でも悪いんだろう。明日になったら行くだろう」と言い残して家を出たものの、仕事をしながら次男のことが頭から離れません。「一体、どうしたんだろう」いろいろと不安な思いが心をよぎります。努めて「神の子だから大丈夫、大丈夫」と不安を打ち消そうとしました。
ところが、次男は、次の日もその次の日も学校に行かないのです。子を持って初めての出来事に、私の心はすっかり動揺していました。
一週間ほど過ぎた朝、「このままではいけない。何とかしなくては」と思った私は、その日休暇をとって、次男を車で学校まで送っていきました。校門の前に着いて次男を促すのですが、なかなか車から降りようとしません。くずくずしている次男に、私は語気を強めて言いました。
父「行ってらっしゃい」
次男「・・・・」
父「何をグズグズしてるの、早く行きなさい!」
次男「・・・・」
父「早く行かんか!!」
思わず大きな声で怒鳴っていました。私の声にビックリしたのか、次男は悲しそうな顔をしたかと思うと、とうとうしゃくり上げて泣き出しました。その姿を見ていると何だか可哀想になって、その日は次男を車に乗せたまま帰ってきました。
しかし、わが子の不登校という現実を受け入れることができない私は、翌日も仕事を休んで、次男と一緒に学校へ向かったのです。今度は車ではなく自転車です。今日こそは登校させなくてはと強い決意で、次男の自転車の後をついていきました。学校近くになると次男のスピードがどんどん速くなっていきます。私は離されまいとペダルを必死でこいだのですが、とうとう校門の手前の曲がり角で見失ってしまいました。その場の状況から校内に入ったようでしたので、一安心して帰ってきました。
ところが昼過ぎ、自宅から数キロ離れた妻の実家から電話がかかってきたのです。「うちに来てるよ」
「よりによってどうして自分の息子が!」私は情けなくなるやら自分を責めるやらで、頭を抱えてしまいました。次男はその後も、自分の気の向いた時に少し登校しただけで、卒業までの大半を家で過ごしました。そして結局高校も、親の強い勧めにもかかわらず、進学しませんでした。
私たち夫婦は「学校だけが人生ではない」と話し合い、たとえ学校に行かなくても、次男には神さまから与えられた使命が必ずあると自らを納得させました。
次男の再出発
中学卒業後、一年半ほど家での引きこもり状態が続いたある日、私が富士山の写真を見ていると、次男が目を輝かせ「僕、富士山に登ってみたい。自転車で行く」と言い出したのです。
一週間後次男は、早朝4時、埼玉県狭山市のわが家を、装備を調えた自転車で一人、富士山に向けて出 発しました。それは約3年ぶりの遠出でした。富士山麓の山中湖に着いた時には、夜の7時だったそうです。それから湖畔の民宿で一泊して、翌日富士山の登頂を無事終え麓に戻った次男は、前夜宿泊した民宿にアルバイトを申し出たのです。ありがたいことに雇っていただき、そこで約5ヵ月間住み込みで働きました。
その後日焼けをして、たくましくなった次男がわが家に帰ってきました。その出来事以来、次男はいろいろなことに積極的に挑戦するようになりました。自動車免許も自分でローンを組んで教習所近くの合宿所に泊まり込み、わずか20日余りで取得しました。またアルバイトをして貯めたお金がいつの間にか70万円を超え、わが家の出費が多い一時期、私たち夫婦のために「いろいろ迷惑かけたから使っていいよ」とすべて差し出してくれました。
自分のことではなく、家族を思いやる次男の成長に、妻と二人で喜びをかみしめました。
そして何よりも嬉しかったことは、3年前、自ら働いたお金で生長の家総本山(長崎県西彼杵郡)の10日間の練成会(※)を受けてくれたことです。
現在21歳を迎えた次男は、今再び勉強への意欲を取り戻し、「高校に行きたい」とその準備に取りかかっています。
(平成17年1月18日記)
※練成会(れんせいかい):合宿形式で生長の家の教えを学び、実践するつどい。
※矢野俊一講師は、電子メールでの個人相談を受け付けています。
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