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●解説>>
私は生長の家の本部講師として、長年、多くの親から子供の不登校についての相談を受けてきました。その都度、「夫にハイですよ」「夫婦調和が大切ですよ」「神に全托したらいいですよ」と教えに従って指導してきました。
ところが、実際に“わが子の不登校”という現実をつきつけられると、「何が何でも学校に行かせなくては」という思いだけが強く働き、子供の気持を考えるゆとりなど全くありませんでした。頭では、親として何を為すべきかは理解しているつもりでしたが、現実に不登校の次男を目の前にすると、どうしてもあせりや苛立ちが出てくるのです。そして不登校の原因を、次男の心の弱さにあると思い、もっと強くなってもらいたいとあらゆる方法を試みたのですが、「次男に原因がある」と子供を責める心がある間は、何をやってもうまくいきませんでした。
数年間の試行錯誤の末、息子の不登校は、息子の問題ではなく、実は親の人生にとっての勉強として受け取ることができるようになりました。
その結果、夫婦で語り合ったことは、「次男のことは神さまに全托しよう」そして、ひたすら「次男の神の子の実相を観じ続けよう」ということでした。私たちが次男のことを信じて、不登校の問題を心から放ち去った時、もともと素晴らしい次男の良さがどんどん出てくるようになりました。
それまで、私は、子供は「神の子」と教えられていながら、やはり「自分の子」だと思い違いをしていたのです。子供を自分の持ち物(所有物)であると考え、所有物の子供が、持ち主である自分の思い通りにならないと腹を立て、心を悩ましていたわけです。つまり、息子を「愛している」と思っていたのは間違いで、親の「思い通りにしよう」としていたに過ぎなかったのです。ですから、私が必死になればなるほど、息子はそれを窮屈に感じ、ますます私から離れていくという悪循環を繰り返していたのです。
『新編聖光録』61頁にある「児童教育に関する神示」の中に、次のような一節があります。
<<(前略)取越苦労が起るのは、子供を神の子だと思わない で人間の子だと思うからである。神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。人間の子だと思うものは終世、取越苦労をして育てねばならぬ。子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬して出来るだけその世話をさせては頂くが、神が守ってい給うと信ずるが故に取越苦労は必要はないのである。人間力で子供を生かし得ると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。それは出来なかろう。出来ない間に子供を生かしているのは神の力である。>>
次男の不登校は、私たち夫婦にとって辛い経験でしたが、それが過ぎ去った今は、私たちの人生に美しい花を咲かせる一課程として、貴重な糧となっています。
私は、次男の不登校の問題を通して、2つの大切なことを学びました。
それは、神に全托すれば全ては良くなるしかないということ。そして、「神の子」の実相を観じて待つことの大切さです。
現在、岩手教区の教化部長として、子供に関する多くの相談を受けながら、「大丈夫、子供は神の子です」と自信を持って言えるのは、すべてこの体験によるものです。
(平成17年1月18日記) |