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私「子供は親の鏡」ということは母親からも良く聞かされていました。
結婚した翌年に長女が生まれました。その後次女と長男を授かりましたが、第一子を出産してから突然妻に喘息の発作が出ました。妻は看護婦をしていましたので、人様の病気の世話はさせていただいていても、自分がそんな重病になるなどとは夢にも思わなかったことと思います。
喘息の発作がおこるたびに死ぬほど苦しんでいる横で、私は震えて聖経を読むしかありませんでした。次女、長男を産んでも症状は変わりません。ある時などは、私が仕事から帰ってみたら家内が玄関で倒れており、すぐ救急車で病院に行き入院をして事なきをえました。喘息は医学的には絶対に完治しないという事でした。
やがて、3人の子供も小児喘息で苦しみ、国の難病指定患者になってしまいました。私も妻も生長の家の教えにふれていましたので、心が一切の現象の源であるとは頭では知っていました。本部講師として人様にもその様に説いていましたので喘息の原因は私自身の心にある、ということは良くわかります。夫婦間の心の葛藤が全部子供の身体に出ているということもわかります。しかし、家内や子供が目の前で死ぬほどの苦しみをしている姿を見ると、心配の念だけが先行して「何かが消えていく姿だ」とは頭の理解だけで、恐怖の念は強まるばかりでした。病の原因が心にあることがはっきりわかるだけに、その心をうまくコントロール出来ない自分自身を責め続けていました。
そのような日々を送って何年か過ぎましたが、家族の中では私自身だけが喘息にならず、家族の発作はおきたり、おさまったりと一進一退の病状を繰り返していました。
ところが平成9年、元気だった実父が突然亡くなり、それがきっかけとなって自分の心の迷いが消え、感謝に満たされた時、全員の喘息が消えてしまったのです。医学的には絶対に根治しないといわれた喘息が跡形もなく消えたのです。
かいつまんで話しますと、私自身の父への感謝の思いでした。父の遺品の中に大部の日記帳があり、その日記の中に私と私の兄弟、孫達の名前の書いていない日が1度としてない事を発見し、寡黙だった父
が私達子供を、そして家族をどれほど愛していたかに気づきました。
実は父は警視庁の刑事で、私がもの心ついた時から、殆ど家に不在の状態でした。小さな時に一緒に遊んで貰った事がなく(実際は沢山あったのですが)、たまに家にいる事があってもじっくりと会話をしたことがなく、父の愛情というものを全然感じませんでした。(それは一重に私の誤解だったのですが)その思いが高まり父に対する反抗心となって、親不幸の限りを尽くしてたのでした。
そんな父への長年の反抗心が、父の日記帳を開いて一気に消え、無条件の感謝の思いに変わりました。仏壇の前で泣いてお詫びをした時、自分の心の中の不平不満の思いが全て払拭され
、自分自身の家内や子供達に対する今までの愛の表現が間違っていた事にはっきりと気づきました。
愛を素直に表現した時、愛おしさがこみ上げてきて、さしもの難病の喘息が消え去りました。家内や子供は死ぬ思いまでして、自分の心の間違いに気づかせて下さったのでした。(
2月21日記)
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