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わが家は3男4女の賑やかな9人家族。これだけの子供がいると経済的にさぞや大変と思われがちですが、「うちは男(女)の子は一人だけで、数えるほどしか袖を通していないものだけれど良かったら!?」と衣類をいただくこともよくありました。また、ベビーカーなどは一時の利用で
すから、知り合いどうしで貸し借りをしていたようです。中学校や高校の制服についても“お下がり”で再利用できました。ですから、教育費も単に一人あたりの費用×子供の数という計算にはなりません。
高校生になるとほとんどの子がアルバイトをし、さらに奨学金のお世話になりました。大学は夜学が基本。仕送りナシ。入学費用などの一時金は、公庫などの金融機関から限度一杯の“公的”資金を注入してなんとか、“父さん(倒産)の危機”を脱してきました。妻もスポット的なアルバイトをしたりしましたが、幼児もいるため子連れでも出来る自動車教習所の託児室や、深夜のコンビニエンスストアなどで働き、鍵っ子にならないよう工夫していました。
子供は子供で家の経済状況を察しているのか、今はやりのぜんそくや、アトピーなどの症状の子もいましたが、比較的みな健康で病院のお世話になることは少なかったように思います。親としても、風邪など多少のことで子供を病院に連れて行くことはありませんでした。だいたいが自然治癒で済みました。信仰のお蔭です。
子供の世界も大人の世界と同じで、“人間関係の悩み”か、時折か「今日は学校へ行きたくない」と言い出す子供もいましたが、太っ腹の妻は「これ 幸い!?」とばかり、平気で子供を休ませていました。これには裏があり、休ませる代わりに末っ子(幼児)のお守りをさせ、自分は単身、羽を伸ばしてそそくさと買い物や母親教室などの行事に出かけるという目論見がありました。
ときに、妻が子供の受験に付きそうため2,3日、上京する時などの際は、小学生の上の子らに交代で学校を休ませ、末っ子(幼児)の面倒を頼むことさえありました。そんなとき、不思議と世話役を頼まれた上の子も、親の役に立てる喜びを感じているようでもあり、学校を休むことをいやがるようではありませんでした。私は、「何もそこまでしなくても(学校を休ませなくても)・・・・」とは思ったものの、私自身仕事を休むわけにもいかず、子供のことはほとんど妻任せの私にとって、あえてそれを口に出すことはしません(出来ません)でした。
考えてみればかつての日本の農家では、農繁期になると子供も大切な労働力として学校を休ませた時代もありました。わが家のそれは当時の農家の事情とは全く趣を異にしますが、何も学業第一で何が何でも休まずに学校に通わせねばとは考えていませんでした。学校教育では味わえない学び得ない家庭教育や宗教教育も重要です。時に幼い弟妹の面倒を見るためや、講習会や全国大会などの生長の家の行事に参加するため、学校を休ませることもあって良いと考えていました。
仕事の関係で週末に休日が取れない私は、なかなか子供たちと一日ゆっくり遊んでやることが出来ませんでした。あるとき、ひらめきました。「そうだ、何も子供の休日に親が合わせる必要はない。ときには、子供が親の都合に合わせれば良いのだ!」それで、私の休日に合わせて、子供らには学校を休ませ、日がな
一日遊園地に行ったこともありました。もちろん欠席届の事由は「家族団らんのため」でした。母親が不在の期間、弟の世話を請け負った兄や姉も、“親代わり”を任されたと思い意気に感じ、“休日”をそれなりに楽しんでいたようです。下の子の面倒を見たり家事をやらせたりしたことは、ある種の家庭教育になったのかもしれません。
そんな訳で、朝「お腹が痛い!」などと子供が言おうものなら、母親(妻)は目を細めて「学校、休めばッ!?」と嬉しそうに言います。そして、その言葉に続いて「休むんだったら、のり君(末っ子の徳之)付きでお願いね!」と明るくあっさり云うのです。それは、上の子に下の子を預け、妻は単身、身軽にショッピングや友人とのお茶を楽しもうとの目論見があるのです。さすが母親!二枚も三枚も上手です。休む側の子供も、それなりに覚悟がいったようです。
(平成16年2月22日)
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