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  プロフィール

 私は平成6年6月に東京にある生長の家本部から、長崎県にある生長の家総本山に転勤となりました。家族は少し遅れて9月1日に長崎に来ました。
 転勤が決まった6月頃より長女の幸子(中1)が不登校となりました。9月からは長崎の中学校に転校したのですが、転校しても不登校のままでした。妻は心配して、私に「何とかして下さい」と訴えてきましたが、私は私で転勤で仕事内容も変わったばかりで、心に余裕が無く、どうしたら良いか分りませんでした。

  仕事が終わり家に帰ると長女は、文句を並べてきます。
「お父さんが悪いんだ!!お父さんのせいでこんな田舎に転校して…」
「言葉(長崎の方言)がさっぱり解らん」
私は、何とかしなければと思い、長女を無理矢理学校に連れて行ったのですが、門はくぐるのですが、教室には入れませんでした。
 私は時間が解決するだろうと思い、毎朝の神想観(生長の家独特の座禅的瞑想法)で、「幸子は完全円満で素晴らしい」と祈り続けました。そうしているうちに学校の先生が家に来てくれました。また、英語の先生は家で授業をしてくれるようになりました。
 そんなこともあり、3学期になったらきっと学校に行くだろうと淡い期待をしつつ、早朝神想観を続けました。ところが3学期になっても長女はまだ学校へ行きません。そのうちに少し進展があり、養護の先生と仲良しになり保健室には行くようになりました。
 
 こうして1年が過ぎ、「2年になったら行くだろう!」という、また淡い期待を持ちました。しかしその期待は裏切られ、長女の不登校は続きました。私は早朝神想観だけは続けました。
 結局中学生の3年間は不登校のままでした。ところが、卒業が近づいたある日長女が「お父さん、私、高校へ行きたい」と言いだしました。そして公立高校を受験しましたが結果は不合格。学校にほとんど通っていなかったのですから当然のことでした。

 卒業式の翌日、長女と二人で校長室に挨拶に行きました。そのとき校長先生より「公立に落ちた位でくよくよしないで、実は君にぴったしの学校がありますよ」と言われ、佐世保女子高校の二次試験を薦められました。
 それで、受験したところ家政科に見事に合格しました
 
 高校に入学してからは長女は学校へ行き始めました。すると今までの不登校が嘘のようにスクールランチ(学校でみんなの昼食を作る)をしたり、獅子舞同好会に入り、色々な方面で活躍を始めました。
 平成11年には通学中に思いついたことを書いた作文を「税の作文コンクール」へ応募したところ、なんと国税庁長官賞を受賞し(全国から14万人が応募、そのうち20名が受賞)、そのご褒美として一日佐世保税務署長も経験させて貰いました。
 また成績も向上しました。入学の頃は学年で後ろから二番目でしたが、卒業の頃には前から二番目となりました。その後は学校の薦めで短大保育科に推薦入学し、現在は長崎市内の保育園で保育士として活躍しています。

 私は、長女がどんな子供でもその実相(神の子である本当の姿)を直視できる、生長の家の教育者になってくれることを願いつつ、今も早朝神想観に通っています。
                               (平成17年2月25日記)

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