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●≪解説≫
人間には、知らず知らずの内に「善くないところを善くしよう」とする心が働く。これは誰にでもある、ごくあたり前の心の働きである。しかし実は此処が重要なポイントである。何故なら「善くしよう」とする心の中には、「悪いところがある」からその「悪いところを何とか善くしよう」とする心が潜んでいるのだ。
そのような心で子供を善くしようとすれば、とりわけ問題児と見られている子供達は、こちらの思い、つまり「悪いところを善くしてやろう」とする思いを、感じて反発したり反抗したりする。
息子が言う、
「みんなは、先生とか大人の言うことなんかに敏感だよ」
私に限らず、仮に「悪いところを善くしよう」とするのが大人社会における青少年に対する一般的な目線だとすれば、青少年の善導は根本的に難しい。それより先に大人自身がものの見方を変える必要がある。
生長の家では「人間は本来完全である」と教えられている。本来とは、元々ということで、悪いものはどこにも存在しないということである。私はこのような見方に立つことが信仰を生活に生かすことであると思う。
相手の善性を見ることについて、生長の家総裁・谷口清超先生はご著書『本当のことが知りたい』の中で、次のようにご教示下さっている。
<<人はみんなすばらしい心を持っています。だから誰かがよい事 をしていると、「あの人はいい人だ」と分かるし、誰かが悪いことをすると、「あんなことをしてはいけない」と批判するのです。
時には自分で自分のやったことを後悔したり、非難したりすることもあります。それは本当の自分がすばらしい証拠であって、その自分がニセモノの自分のやった悪を非難する。だからどんな悪人のように思えても、本当の悪人なんか、どこにもいない。このことを、「人間は神の子である」というのです。それは表面的にすばらしい姿が表われているからではない。見せかけはどうあろうと、皆中味はすばらしい、完全円満だということで、見かけまで完全にならないといけないという訳ではありません。 (223〜224頁)>>
イエス・キリストは言っている、「もし盲目なりしならば、罪なかりしならん、されど見ゆと言う汝らの罪は遺れり」と。今日、大人自身のものの見方が問われていると私は感じている。表面上の見せかけの姿ではなく中身の完全さを見るべしと。
(平成18年2月24日記) |