生長の家の根本教義は「人間は神の子だ」ということです。この意味は、人間というものは肉体という物質が生きているのではなく、神様の生命によって生かされているということです。したがって神の子なる人間は、永遠不滅の生命であり、病気も死もないのが本当の相なのです。これを実相といいます。
ところが多くの人は、「人間は肉体である」と思っている。その肉体には限りがあって、誰でもいつかは老い病み、そして死んでしまいます。そのような頼りない肉体を本当の自分と思っていると、病気や死、不幸や災難などが起こってくるたびに恐怖し、悩まなくてはなりません。
私の場合も、子供の高熱を見ては心の平静を失い、医者から子供が死ぬかもしれない、と言われて恐怖し、愕然としたのです。子供の生命を助けるため祈ろうとしたのですが、心は動揺するし、人の出入りが多くて、とても祈りに集中できる状況ではありませんでした。
私はとりあえず聖典を読むことにしました。危急の時はとくに真剣に読んでいるためか、今まで何気なく読んだところの一行一行のご文章が力強く心に響いてきました。私の心境を変えた文章は次のような内容でした。
≪ 戦争中、生長の家の誌友さんが船長をしている小さな輸送船が、運悪く沖合いで座礁して動かなくなってしまいました。その時期がちょうど春の大潮の満潮時で、一年中で一番水面が高い。ということはもうそれ以上海面が上昇することはないので、いくら船をロープで曳いてみたところで、脱出できない。その時に船長さんは生長の家の誌友でしたから、一心不乱に祈ったそうです。どのように祈ったかといいますと、「神は全能である。神にとってできないことはない。だから神はこの災難から吾々を救い給わない筈はないのである。神にそのままお任せいたしましょう」というように、神の全能を信じて神にスーッとお任せする心持ちになって祈りつづけたのです。すると不思議、翌朝船が浮かびあがるだけに満潮時の水位が上がり、脱出することができたのです。何故そのような奇跡ともいえるようなことが起きたかといいますと、神様が地球を創り、太陽を創り、地球の表面に潮を創った。したがって神様がそれを支配することは決してむずかしいことではないのであります。その神様への深い信仰が起こってきた時に、神様の法則が働いたのです ≫
(『新講「甘露の法雨」解釈』43頁の概略)
この文章を読んで私は、「今まで息子は私の子供と思っていたのが間違いだった。子供は私が創ったのではなく、全智全能なる神様が創り給うたのだ。子供を生かし育てているのは神様なんだ」ということが分かりました。
すると、自分の力でどうにかしなければいけないという我の力が抜け、「全ては神様にお任せしましょう」という気持ちになって祈ることができたのです。それから子供の熱が下がり回復に向かいました。
この出来事を通じて私は、「如何なる神を信じるのか」「正しい祈りとはどのようにするのか」という信仰上、最も大切な部分を教えていただいたのでした。
(平成20年2月26日記)