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杉内英治講師

 プロフィール


 

 アメリカで「生長の家」を知った私は、昭和53年(1978年)最初の子の出産にあわせて妻とともにシカゴから帰国し、東京の足立区に住むようになりました。そしてその後3人の子供に恵まれ、子供達の成長とともに、週末は家族で「東京生命学園」(生命学園・・・生長の家の日曜学校)に通うようになりました。
 数年後、私の勤務先の会社が静岡県の御殿場市に本社を移設したことから、都会の暮らしから大自然の中で子育てをする生活へと転身することになりました。そこで、通勤圏内の富士山麓の河口湖町に家族揃って移転することにしたのです。そして、私は山梨教区の相愛会に所属し、自宅で相愛会誌友会を開催するようになりました。また並行して、「富士河口湖生命学園」の活動に取り組むようになり、その後、教区の生命学園長のお役をいただくことになったのです。

 生命学園では“親子共学”をモットーにしていましたので、私は仕事の都合をつけ、週末には子供と合流し、四季折々の湖畔や山での野外学習はもとより神社清掃等にも出かけました。また、道場周辺、河口湖、天上山、三ツ峠、富士山へと散策に出かけ、めずらしい草花をみつけては植物図鑑等で名前を調べ、その草花を題材にして和歌づくりをおこないました。子供達はその体験を通して、野生の草花の名前を覚えることができました。家族5人で毎週のようにつくった和歌は、合計で千首以上になると思います。和歌づくりで感心するのは子供の感性です。見たままをそのまま和歌にする、簡単なようでとても難しいことです。目の前にある草花や、その日の出来事を素直に描写する才能に感動したものです。

 このような“親子共学”を続ける中、平成2年(1990年)10月14日、「育てよう未来へつなぐ豊かな緑」をテーマに山梨県で「第14回全国育樹祭」が開催されました。そして、私たちが住む河口湖町から富士山に向かう船津登山道一合目付近の丘に「全国育樹祭記念広場」が設けられました。約6,000名の招待者が見守るなかで開催されたその「育樹祭」は、今でも「育樹祭」史上最も心に残るものであったと語り継がれているようです。

 さて、その「育樹祭」の中で、皇太子殿下から“緑化推進旗”を受け取り、会場のセンターポールに掲揚する役として、全県下から6名の小学生が選ばれることになりました。その選抜を兼ねた研修のため、各小学校から3名ずつ代表の生徒と共に関係者が集まり、現在の北杜市清里にある“山梨県立八ヶ岳少年自然の家”で「植物観察の発表会」が開催されました。当時、私の長男(当時、小学6年生)は河口湖町の船津小学校で生徒会長でしたので、その発表会に参加することになりました。その発表会で長男は、日頃“生命学園”で学習していることをそのまま発表したといいます。そして、礼儀作法や地元の草花の観察で名前等をいろいろと覚えていたことなどが役立ち、その6名に選ばれたという報告を受けました。
  「育樹祭」の当日は見事な快晴に恵まれました。長男達に託された“緑化推進旗”は、高く聳える霊峰富士を背景に、赤松の林の上に力強くはばたいたのでした。

(平成22年3月14日記)


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