| ●解説>>
不登校の長女に対して「何とか学校に行ってほしい」、父親として心からそう願うのですが、それがなかなか実現せず結局7ヵ月かかりました。最初のうちは「直ぐ行くだろう」と娘の心を理解することもなく考えていました。しかし、なかなか実現しないとき、焦りや苛立ちの現象心が起こってきます。父親として何が大切かは、既に生長の家の本部講師でもありますので頭の中では理解できても、現象にとらわれると自分の本当の心が隠されてしまい、つい感情的な言葉を発したこともありました。
総裁・谷口清超先生著『幸せはわが家から』の86頁に次のようにお示しくださっています。
<<どんな子供にも、現象的には長所もあれば短所もある。しかもその奥には「神性・仏性」のすばらしい本質(実相)があるのだから、これを言葉による称讃や和顔・愛語で引き出して行かなければならない。ことに兄弟姉妹には「父母から同じように愛されたい」という深い願望があるから、決して学校の成績だけで一方のみを誉め、他方をけなしてはならない。>>

夫婦で語り合ったことは、「もう長女のことは神様に全託しよう」、そして、「長女の実相のみを観じ続けよう」と決意し、長女の不登校を心から放してしまいました。
そうすると気が楽になり、現象の長女が何をしようが父親としては、長女の実相を日々の神想観で唯観じ、必ずすばらしい本質(実相)が顕れると堅く信じて、他の子供達と変わりなく当たり前に生活するように努めました。勿論、和顔、愛語、讃嘆は欠かすことなく実行するように努力しました。
私自身の学校時代は「登校拒否」や「不登校」という言葉はなく、したがって学校は当然登校すべきものであり、病気などの理由以外で休むということは考えられないことでした。ですから長女が「頭が痛いから休む」という理由は最初は理解しましたが、それが長く続くと長女の「我がまま」からの怠慢であると考えたのでした。その心を直そうと思い、叱責や厳しい態度で望むべきだと考えたのでした。育った環境も時代背景も違い、また転校という経験もなかった私は、環境の違いから生じる言葉や友人、先生などの対人関係で悩み、不登校にならざるを得なかった長女の心を理解できませんでした。

しかし、この7ヵ月が実は、自分の信仰をさらに一層深める機会になったのでした。親はどうしても自分の尺度でものを見て
子供の事を判断しがちです。しかし大切なのは、自分の思い通りに子供を教育することではなく、私の場合、長女の心を理解して、その迷いなるものから目覚めさせるために、父としてどうすべきであるか
、という点であることを学ばせていただきました。
同じく『幸せはわが家から』の194頁には次のように示されています。
<<それ故、人々はみな「待つこと」の訓練を怠ってはならない。移り変わりの 激しい現代に生きる者にとっても、この訓練が省略されてよい考えるのは間違いである。当然、自発的にやらなくても、自動的に、あるいは他動的にも現れてくる。学習を怠り、 訓練をさけたりすると、目的は遠ざかるばかりだ。ウソ、イツワリを用いると、そのつけが必ずレシートの如く、消費税付きで追加されるのである。>>
すべての人々のすばらしい本質である実相を観じ、本当の姿が顕れることを信じて待つことの大切さを体験させていただきました。私たちはどのような問題が生じようとも、その問題解決のために神の御心にしたがって行動する自分になることです。
神の御心は日々神想観、聖経・聖典読誦を行ずることによって、何を為すべきかを自覚して、そのまま愛を行ずる生活に徹しきることが最も大切なことであることを改めて認識した次第です。
(平成14年8月21日記)
|