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「オギャー、オギャー」
平成15年11月2日午後10時8分、我家に5番目の子、三男が元気に誕生しました。家内は46歳の出産で、出産予定日(12月17日)よりも1ヶ月半も早い誕生でした。体重1,800グラムの小さな、しかし、見かけよりもズーと力強い泣き声
で、生命力の偉大さを感じさせてくれました。
名前は、「光そのままを生きる」「光のように明るく生きる」の意味で、「光生(コウセイ)」と命名しました。この名前の由来は、まず、「光」という漢字を使いたかったこと、光は、音読みで「コウ」。私は、柔道の男子100キロ級世界チャンピオン
、井上康生選手が大好きだったので、「コウセイ」という名前に決め、「セイ」を「生きる」という意味の「生」を選びました。
この光生君が1ヶ月半も早く生まれてきた理由なのですが、家内が、11月1日の定期検診を受けた結果、医師より、「尿にかなりタンパクが混じっており、妊娠中毒症が悪化しています。すぐに入院して下さい」という事でした。しかし、4人の子供(中1、小5、小1、5歳)がいるので、私は「少し待って下さい」とお願いすると、明日午後2時までに入院するなら良いと条件付きで承諾してくれました。
さあ、これから長期入院も十分考えられるので、5歳の娘を私の両親の所(我が家から約150キkm離れている)に預けることにし、翌日、両親に娘を迎えに来てもらいました。11月2日午後2時、指示通りの入院。私も、病院まで送って、それから、自宅に帰りました。この時の家内の心境は、長期入院になった場合の子供のことが大変心配だったそうです。
これから4時間程経って、病院から呼び出しがありました。お腹の赤ちゃんを診察したところ大変弱っているので、明日札幌医大病院に救急車で搬送しますとのことでした。
一旦自宅に戻って3時間ほど経ったころ、再び病院から呼び出しがありました。
「奥さんの血圧が大変高くなっています。それと、赤ちゃんが動かなくなってきました。すぐに、帝王切開をして取り出します。生まれた赤ちゃんが自分で呼吸できるかどうかも判りませんが、よろしいですか」
と、お医者さんから了解を求められました。
私は、「はい、宜しくおねがいします」と迷わず返事をしました。全くの不安が無かった訳ではないですが、すべてを神にお任せする気持ちでした。私は、分娩室の側の待合い室で上着のポケットから聖経『甘露の法雨』を取り出し、ただ、一心に読み始めました。
ちょうど一回を読み終わった頃でしょうか、どこか遠くで「オギャー、オギャー」という赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。間もなく助産婦さんが赤ちゃんを抱えてきて、「男のお子さんですよ。とても元気ですよ」と私に伝えてくれました。
聞くまでもなく、泣き声を聞いただけで、元気なことは、素人の私にも十分解りました。静まりかえった待合室に響いたこの元気な赤ちゃんの泣き声がどんなに私に、喜びと元気を与えてくれたことか判りません。
家内の体調も順調に快復して通常の出産と変わらない8日間の入院期間で退院することができました。早く産まれてきてくれたお陰で短い入院ですんだ事は、大変ありがたいことでした。
私の実家に預けた5歳の娘もよく一人で8日間も頑張ってくれました。
赤ちゃんも体重が2,500グラム(この体重になるまでは、退院させてもらえない)を24日目で越え、11月26日無事退院して我が家に帰ってきました。
家内の母乳もまずまずの出で、母乳とミルクの半々を飲み、当初の出産予定日だった日に検診があり、3,000グラムにまで生長していました。今、他の4人の子供たちが、嬉しそうに光生君を代わる代わるだっこしたり、ミルクを飲ませてあげたりしている姿を見ていると、「本当に元気に生まれてきてくれて、ありがとう」と、お礼を言いたいです。
家族がみな元気に、一つ屋根の下で、当たり前に家族が生活できることを心より感謝したいと思います。
(平成16年3月24日)
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