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  プロフィール

  平成11年秋に父が他界しました。すでに母も他界していたため、51歳(当時)の私は、父の介護などを理由に先延ばしにしてきた「結婚」について躊躇する問題が無くなりました。相続の手続きを済ませた12月頃「もうどうしても結婚するしかない」と心に決めました。
 そのとき初めて、漠然とあったプライドを捨て本気で「どんな見合いの話でも受けよう」という気になりました。翌年1月に知人から見合いの話がありました。この縁談は整いませんでしたが、3月初旬には、職場の友人を通して見合いの話が舞い込みました。それは出張先の長崎で見合いをしないかということでした。私は受けることにしました。
 
 出張先での仕事が済んだ後、彼女と見合いをしました。しかし年齢が17歳(もちろん年下)も離れており、印象は良かったものの「これはとても無理だろうなぁ」と思いました。また地理的にも遠く、もう一度会うかどうか思案していました。
 そんなある日、日比谷線電車の脱線事故が起きました。彼女から「大丈夫でしたか?」と職場に電話がありました。私はその時まで事故のことは知りませんでした。また日比谷線は通勤でも利用していませんでした。しかし住んでいる所から割合と近い場所での事故だったので心配してくれたようです。
 この電話が心を打ちました。私に心を向け、心配してくれる人がいることが理屈抜きで嬉しかったのです。そしてその瞬間、もう一度会おうと決心して、休暇を取り、長崎まで会いに出かけました。今思うとテレビドラマの様でした。

 後で聞いた話ですが、先方は私の年齢を42〜43歳くらいと間違って聞いていたようです。私が会いに行こうとしたとき、初めて正確な私の年齢を聞いてこの縁談を進めるべきかどうか迷ったそうです。彼女も彼女の母親も生長の家を信仰していましたので、生長の家の恩師に相談したそうです。その方は私の大学の先輩でした。その方が熱心に私との縁談を勧めてくれたと後で伺いました。
 長崎で再会したとき、彼女と共に生長の家の信仰を通して素晴らしい家庭を作る夢を共有できると感じ、交際することを心に決めました。
 
 その後、この縁談を紹介してくれた友人の母から、「良い話なんだから早く話を進めた方がよい」旨の助言をいただき。私は決心して先ず彼女のご両親に結婚させて頂きたい旨の手紙を真心込めて書き、その後彼女に電話でプロポーズしました。後日長崎に赴き、改めて結婚を申し入れたところ、先方は喜んで了承してくれました。当時は全く夢の中にいるようでした。
 結婚まで彼女と会ったのは通算して7回でした。非常に短い期間でしたので充分お互いを分かり合ったわけではありませんが「お互い結婚してから協力して一から家庭をつくっていこう」と申し合わせ、平成12年9月に結婚しました。

 結婚後、お互いの立場、気持ち等を十分思いやるまでには、しばらくの努力の期間が必要でした。結婚して一年目に授かった第一子を流産で亡くしたことを契機に、相互に思いやる心が格段に深まりました。正に霊界に旅立った子供に導かれて、2人は「夫婦らしくお互いを思いやる」という訓練を与えられたのでした。
 その後待望の長男を授かりました。今では子供の成長が私の生き甲斐です。遠い長崎から愛深いご両親を置いて東京に嫁いでくれた素晴らしき妻にただただ感謝の毎日です。

                               (平成17年3月29日記)

 
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