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おはようございます。私は生長の家本部講師、安藤満と申します。
これから「生長の家の教育法」について、お話をさせていただきます。テキストは、生長の家の創始者である谷口雅春先生著『生命の実相』頭注版第13巻でございます。
普通は「教育」と申しますと、先ず不完全な点や悪い点ダメな点があって、そこを何とかしなければと考えて、そして注意して叱って分からせて、という様な方法で良くしてゆこうと
、多くの方は考えておられるのではないでしょうか。
「生長の家の教育法」は、これとは全く正反対の考え方から出発します。人間の本質は完全で円満な「神性・仏性」であるというのが、生長の家の人間観です。何か外から付け加えて良くするとか、良くなるということではないのですね。人間は皆本来、善であるという人間観です。
そして、この内なる「神性・仏性」を表現することが人生の目的であり、また同時に歓びであるというのが、生長の家の人生観です。
ですから、その内なる「神性・仏性」が顕れるように、自覚されるように導くことが「生長の家の教育法」となって参ります。内なる「神性・仏性」が引き出されさえすれば、ダメな点や悪い点、不完全な点は自ずから自然に消えてしまうという教育観です。
例えば次の様な情景の時、皆さんだったらどの様に考えて、そして何とおっしゃるでしょうか。
食事のときの情景です。小学一年生の次郎が、テーブルの中央にある醤油を取ろうとして手を伸ばしたとき、次郎の肘がお椀に当たって、おつゆをこぼしてしまいました。次郎は、時々テーブルのお汁やコップの牛乳をこぼし、「おっちょこちょい」とか言われて、注意されたりからかわれています。
さあ、あなたは次郎のお父さんです。 どの様に考えて、次郎に何とおっしゃいますか。自分ならその様なとき何と言うか、少し考えてみてください。
それでは、次のような言い方は如何でしょう。
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(父親)ああっ、またやっちゃった。本当におっちょこちょいだな…、よそ見をしているからそういうことになるんだ。これで何回目だ、何回やれば気が済むんだ。全く、幼稚園の頃からそういう不注意な性格は変わっていないな。ホントに、お前って奴は、全然進歩がないんだな。あーあ!(ため息) |
子供が何か失敗して、「ほらっ、また失敗しちゃった、ダメじゃないか」と、ダメな点悪い点、不完全な点を指摘して、強く叱ればきっと本人は反省して次からは失敗しなくなるに違いないと
考える。まぁ、こういう考え方をするのが一般的ではないでしょうか。
しかし、ダメな点を一生懸命指摘して叱りつけるけることが教育だということになりますと、一回言ったくらいではきかないので、十回か百回位言えばいいのでしょうか。
「お前は不注意だ、そそっかしい、おっちょこちょいだ」と強く言ったら、子供は慎重になるのでしょうか。残念ながら、子供は慎重になるどころか、益々不注意な姿を現すようになって参ります。
「自分は間違いなく不注意である」という自己像が、本人の中に出来上がってしまうからです。本当は、慎重になって貰いたいと望んでいる言葉が、全く正反対の性格を育てていることになってしまいます。
「生長の家の教育法」でいきますと、次のような言葉が考えられます。
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(父親)大丈夫か? ほら、この布巾で拭いたらいいよ。お父さんも小さい頃は、そうやってよくこぼしたものだ。みんなそうやって大きくなるんだよ。
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まだ幼い子供は、一つのことにしか集中できません。すると他が見えなくなってしまうんですね。大人はテレビを観ながら食事をしたり、会話をすることもできますが、子供はテレビを観ながら食事をすることは出来ません。
どちらかが疎かになってしまいます。この時期の子供は大変な集中力があります。ですから、一つのものに興味と関心が行って他が見えなくなるのは子供の特徴でもあるわけです。別におっちょこちょいとか、不注意とかの問題ではないんですね。ですから、その事をことさら言挙げする必要はないわけです。
現実に見える今の不完全な状態がその子の本当の姿でなく、完全円満な姿が本当の姿でありますから、その本当の姿を信じて認めて、あなたは素晴らしい子だよ。神様からお預かりした、掛け替えのない私の宝だよと心から讃嘆する教育。 これが
子供を良くする秘訣その1です。(5月10日記)
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