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●≪解説≫ 

 
生長の家では先祖供養の大切さを“木”に例えて、次のように説いています。
  大地は神様、根は先祖   幹は両親、子孫は枝葉
  枝葉に花咲き、よき果を結ぶは 親に孝養、先祖に供養
子供の幸福の為にも、先祖供養は大切であると充分に知っているつもりでした。

 さて私は現在の仕事のために4年前に名古屋から東京に引っ越して来ました。両親が現在も住む名古屋の実家には仏壇がありますから、 引っ越してきた東京の家には特に自分の家用の仏壇は用意しませんでした。何故なら先祖供養とは形よりも先祖に対する感謝の心で供養することが第一であると知っていたからです。
 ですからこれまで私は、生長の家で使用している紙の霊牌に私の両親と妻の両親合わせて4家の先祖、流産児、親しかった親族の名前を書 いておき、それに向かって聖経をあげていました。
これまではそれで良いと思っていました。しかし今回の長女の不登校の原因を反省するうちに、本当の意味での「先祖に感謝」するための表現が足りないことに気が付きました。 このことについて生長の家創始者谷口雅春先生は次のようにお説き下さっています。

 <<仏壇も神棚もないというのは、一家の魂の寄り所となる霊的 中心がないということになるのでよろしくない。人間界で仏壇や神棚ができるということは、肉眼でみたら物質の祠や宮ができただけだが霊眼でみると、そこにはもっと荘厳な霊界のお宮が出来ておって、その姿が影を映して、人間界に物質の神棚とか仏壇とかが出来ているということになっているのである。
                 『人生を支配する先祖供養』16頁>>
 <<先祖を大切にする心があれば、自然にお祀りを大切にする訳である。              『人生を支配する先祖供養』48頁>>
 
 特別な経済的理由があり仏壇が購入出来ないときは、清浄な場所に霊牌を納め、感謝の気持ちで聖経をあげれば良いのです。それで充分に真心は通じます 。しかし経済的 な余裕があっても仏壇を備えずにいては、ご先祖よりも自分の都合を優先していることになります。つまり本当に意味で先祖を立てた生活とはなりません。 長女はそのことを 私たちに教えてくれたいのでした。私は妻に話し、仏壇を購入して先祖供養を行うようにしました。

 それから私は出勤時や帰宅時には仏壇に手を合わせて、ご先祖様に挨拶を始めました。しばらくすると子供達も自然に仏壇に手を合わせるようになりました。
 その次ぎにしたことは妻や子供への愛情表現です。私は通勤時には次のように心の中で繰り返し唱えています。
「我が家は天国浄土、妻は神の子無量寿のいのち、ありがとうございます。わが子は神の子無量寿のいのち、ありがとうございます」
この言葉を妻や子供達の笑顔を思い浮かべながら何回も行っています。それから家族の笑顔が更に増えたように感じています。

さて長女はとても元気です。先日中学生練成会に初めて参加して、「この次ぎも絶対に練成会に行く。友達を誘っていく」と喜んで帰って来ました。自分の聖経で聖経読誦も実践するようになりました。
 私は父として一家の中心です。その私にご先祖への感謝、両親への新たな感謝、妻や子供へ感謝する素晴らしさを、長女があのとき不登校の姿を現して私に伝えてくれたと思っています。

                                          
           (平成18年4月30日記)

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