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●解説>>
◎“子離れ”ができていない
この“金髪事件”で私には、はっと気づいたことがある。子供たちに対する私の観方は子供たちが小学生の時と変わっていなかった、ということだ。子供はそれぞれ成長し、“独立した存在”へと脱皮しているのに、私の観方は少しも成長していなかった。長男の金髪を目の当た時、確かに私は、彼が学童だあったころと同じような気持ちで対していた。私に“子離れ”ができていなかったのである。
もちろん、これは「子供の言いなりになれ」という意味ではない。少なくとも思春期を迎えるころまでの子供には、社会生活上のルールはしっかり教える必要があるが、その時期を越えたら、親には、その自立を助けるような姿勢が必要であることを痛感させられた。
◎甥の放蕩を直した良寛さんの涙
こう書いて来て、良寛さんの、こんな逸話を思い出した。
良寛さんには放蕩三昧の甥がいた。ある時、そのことで悩んでいたその母親から、説教するよう依頼された良寛さんは、その家を訪れた。その息子は叔父(良寛さん)に説教されると思って構えていたが、3日3晩経っても説教する気配はない。いよいよ帰ることになり、玄関で帰り支度をしている良寛さんから、この甥はこう頼まれた──「ワラジの紐を結んでくれないか」。甥が言われるままに紐を結ん差し上げていると、襟元に冷たいものが落ちてきた。顔を上げると、良寛さんの目に涙が溢れていた。以来、この息子の放蕩は、ぴたりと止まったという。

相手を思いやる深い愛──言葉でいえば実に簡単なことだが、良寛さんの、こうした行為には強く心打たれるものがある。日々の生活の中で、自覚の中心をどこに置いて生きているか、それが自ずからその人の一挙手一投足に現われる。
息子の金髪を見た時、私は一体、自覚の中心をどこに置いていたのだろうか。荘厳な「神性・仏性」を信じて、温かくじーっと見守るような“愛の世界”から、大きく離れていたに違いないのである。
◎親は子供によって育てられる
が、この一件で私は、今ここで述べているようなことに思い至らされた。教育というのは、「相手の中に既にあるものを引き出すものである」と生長の家では教えているが、実に、息子によって私は、自分の中にすでにある、“実相を信じる心”を掘り起こされたような気がする。「親が子供を育てる」というが、「親は子供によって育てられる」のである。
生長の家総裁・谷口清超先生はご著書『幸せはわが家から』の中で次のように示されている。
<<(前略)人生はあらゆる“教材”に充ち満ちているから、この世を「人生教室」とか「人生学校」又は「人生大学」などと呼ぶ。そしてここで学ぶことは、一口に言うと、「人間のすばらしさ」であり、「全て のものはみな有難い」ということである。>> (同書106ページ)
(10月25日記)
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