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私には2人の娘がいます。今年の春、大学を卒業して社会人になった長女の明香里(あかり)と、大学3年生になった次女の和佳奈(わかな)です。
初めに、私たち夫婦にとって、自慢の娘たちのことを紹介したいと思います。
長女の明香里は、父親の私に性格が大変似ており、とても行動的です。高校時代にはフットボール部のマネジャーをつとめ、大学時代にはテニス部に所属して活躍しました。みんなをまとめてリーダーシップをとるような頼もしい面もあります。
また、とても面倒見のよい性格で、大学生のときに、通学途上でエスカレーターでつまづいて倒れているお婆さんを助けて、大学の授業に遅刻してしまったこともあるほどです。
長女は、人のためになることが大好きな、本当に思いやりのある子だと思います。
次女の和佳奈は、性格が母親に似ており、よく気がつき、大変きれい好きです。現在は、東京にある大学の都市環境学部で、建築関係について勉強しています。私は、経済学部の卒業ですので、次女は全く違う分野を専攻していることになります。
このように、性格が私と大きく異なる次女ですが、ジャズ音楽が好きな私が、妻のお腹の中にいたときから、次女によく音楽を聴かせていたからでしょうか? 姉と一緒に幼いときからピアノを習い始めた次女は、進学した高校でブラスバンド部に入ると、テナー・サックスを吹くようになり、演奏会でよく私たちに美しい音色を聴かせてくれたものです。
ところで、次女の和佳奈が妻のお腹の中にいた頃、私は故郷の滋賀県で、郵便局に勤めておりました。ところが、平成2年の夏ごろ、いつものように配達用のバイクを運転しながら配達をしていた私は、バイクもろとも、後ろから自動車に追突されてしまったのです。気づいたときには、私は田んぼの中で倒れていました。
私はその後、このときの事故の後遺症で、6回くらい手術をしたり、何度も入退院を繰り返したりと、約4年間に及ぶ療養生活を強いられました。
しかし、そのような療養生活中に、私にとって “人生の転機”といってもいいような出来事がありました。
それは、当時、滋賀教区の教化部長だった木榮作・本部講師(現在、岐阜教区教化部長)が「その体で郵便局にいたら、迷惑がかかるから、生長の家の本部に奉職しなさい」と、“転職(てんしょく)”を薦めてくれたことでした。
私は、恩師の木教化部長のご指導に従い、平成6年5月に、生長の家本部に晴れて奉職し、そのまま故郷の滋賀県八日市市(現在の東近江市)にある、生長の家滋賀県教化部(※1)で働くことになりました。
こうして、私は、交通事故に遭ったことがきっかけで、現在、勤務している生長の家本部に勤めることができたのです。
青年会時代から青年会活動を一所懸命にしていた私にとって、生長の家の本部で働くことは、まさに “天職(てんしょく)”と言っていいものでした。
このように、人生の途中でいろいろなことが起こっても、何事に対しても、今、自分に与えられていることに感謝して、できるところから取り組んでいけば、人生は必ず上手くいくようになっているのだと、私は自分の体験を通して実感しました。
そして私自身がこのような体験がありましたので、娘たちには、次のようなことをよく話してきました。
○ 今、自分に与えられていることに感謝し、できることをしていけば、必ず善き結果が現れること
また私は生長の家の教育法に基づき、次のことを心がけて子どもを育てるようにしてきました。
○ 子どもの実相(本当の姿)の素晴らしさを信じて、心配や取り越し苦労を止め、何があっても、子どものことを信じること
例えば長女の明香里は、大学生のときに、アルバイトに励んだり、サークル活動(テニス)に熱中していたこともあって、夜遅くに家に帰ってくることが度々ありました。しかし、私は長女に対し、そのことで口うるさく注意したり、怒ったりしたことは一度としてありませんでした。長女がまるで “旅行”から帰ってきたかのように、いつも家族で温かく迎えるようにしていました。
それは、私自身も大学時代に毎晩遅くまで、一所懸命になって生長の家の青年会活動をしていた思い出と重なるからでした。また何よりも、生長の家のみ教えに基づいて、長女のことを“神の子”として信じていたからです。
私も大学生の時には、生長の家の青年会活動に励んだりと、充実した学生生活を送っていましたが、長女の大学生活を見ていると、私のとき以上に、充実した日々を送っているなと思ったものです。
次女の和佳奈ですが、これまで、つつがなく順調に成長してきているように思います。
そんな次女ですが、第1志望の高校の受験に失敗したときには、さすがにショックを受け、涙を流したことがあります。そのとき、私は父親として「きっと、和佳奈にとって、第2志望の高校の方が相応しい高校なんだと思うよ。お父さんはそう確信しているからね!」と言って励ましました。
結局、次女はその第2志望の高校に入ったお陰で、ブラスバンドを思いっきりやることができましたし、現在通っている、第一志望だった大学に推薦で入学することができたのです。
このように、私たち夫婦は生長の家の教育法に基づいて、子どもたちに接してきましたので、娘たちのことで心配したり苦労したりといった記憶は、全くありません。
※1 教化部・・・生長の家の各地域にある拠点のこと
(平成23年6月8日記)
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