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これから生長の家の教育法について、お話をさせていただきます。
普通一般的な親御さんの子供観はどの様なものかと言いますと、子供の中には何もないと…、仮にあったとしても、未熟な、稚拙な考え方をしているのが子供であると考えて、そこで、良いことや悪いこと、色々な事を教えて、幼稚な考え方をただして行くことが教育である、と思われているわけです。つまり「まだお前は子供だから、何にも分かっちゃいないんだから、黙ってお父さんの言うことを聞きなさい……」いうことになるわけです。
子供は白紙だから、大人の考えや知識を、沢山教え込めば、子供は一人前になる、つまり生長するのであると、漠然と考えているわけですね。如何でしょうか。
例えば、次の様な情景の時、皆さんだったら、どの様に考えて、そして何とおっしゃるでしょうか。
お祭りから帰った小学二年生の次郎が、しょぼんとして言いました。
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(次郎)お父さん、僕、財布を落としちゃったんだ
(父親)幾ら入っていたんだ?
(次郎)1万円
(父親)えー、1万円、そりゃ次郎のおこずかい全部じゃないか!
(次郎)うん
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さあ、あなたは次郎のお父さんです。この様なとき、どう考えて何とおっしゃいますか。少し考えてみてください。
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(父親)あーあ、ホントに不注意だなぁ、自分の全財産を持ち歩くバカがどこにいる。お金は人に見せびらかすものじゃないんだよ!
1万円というのはね、大金なんだよ! これからは、そんな大金じゃなくて、本当に使うお金だけ持って行くんだ。次郎、分かったか?
(次郎)でもね…、お父さん、僕ね、いいこと思いついたんだよ、教えてあげようか。
(父親)次郎っ! 人の話をろくに聞きもしないで…、お父さんは今お前の考えを聞いているんじゃない!
お前はお父さんの言うことを聞いて、これから大金を持ち歩かなければいいんだっ! ただそれだけだ! |
次のお父さんはこれと正反対の考え方をしておりますが、どの様な会話になるでしょう。
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(父親)えー、1万円も入っていたの。そりゃ次郎の全財産じゃないか!
(次郎)うん。
(父親)どうしてそんな大金を持って行こうと思ったんだい?
(次郎)お祭りで色々買おうと思ったんだよ。
(父親)ふーん、そう、何か買ったの?
(次郎)でも、あんまり買いたいと思う物はなかったんだ。みんなすごく高くて、とても買う気になれなかったんだ。
(父親)そうか、無駄遣いしたくなかったんだね。
(次郎)うん、でも全部落としちゃった。
(父親)探したの?
(次郎)うん、歩いた道をお兄ちゃんと一回、その後僕一人で二回探したんだ。でも見つからなかった。
(父親)そうか……。どうすればよかったんだろうな。
(次郎)そこなんだよ、お父さん! 僕考えたんだっ、絶対財布を落とさない様にするにはどうしたらいいかって、教えて上げようか。
(父親)へー、どうするの?
(次郎)それはね…、財布にね…、ヒモをつけておけばいいんだよ。
(父親)ああそうか、それは名案だ! もう絶対落とさないね。
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このお父さんは、子供に何も教えておりません。ただ、尋ねているだけです。それで、子供は子供なりに色々考えて、ちゃんと答えを見いだしています。ですから、何かを教えなければならないと、そういう事だけが、教育ではないと言うことなんですね。
はじめのお父さんと次のお父さん、この違いにお気付きになりましたか。
はじめのお父さんは子供は何も分かっていないのだから、親として色々教えなければならないと考えています。次のお父さんは、答えは子供の中にあると信じてそれを引き出すことを意識しています。この子供観の違いによって会話がこの様に変わってくるんですね。
生長の家の教育は、道理を説いて諭すという事が基本的な考え方です。しかし、その道理を説くにしましても、その道理が子供の内なる道理に響いているかどうか、子供に確認しながら、子供の中の道理に共鳴させながら……、歯車を噛み合わせながら、諭さなければなりません。
子供の中に答えがあると信じて諭すのと、子供の中に、その道理なるものがないと信じて諭すのとでは、これは天地雲泥の違いがあります。
子供の考えは幼い、駄目だ駄目だと否定しながら諭すのではなくて、子供の内なるものを育てる、引き出すことを意識しながら諭すのが生長の家の教育法です。(平成15年7月9日)
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