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●解説>>
私の父は、私が16歳の時他界したが、今でも父を思い出すとき、いつも思うことがあります。それは、いつも私を認めていてくれていたことです。私はあまり勉強の成績は優秀な方ではありませんでした。そんな私なのですが父は、「勉強せよ」とは一度も言ったことはなかったのです。
ところが、勉強しない私は、中学生になると少し不安が出てきました。今の成績で自分が志望する高校受験に合格するのだろうか、そんなことを考えていた時、父は私に、「お前は出来る子だ、やれば必ずできるよ」と言ってくれたのです。私は父の暗示にでもかかったかのように、それから私の成績はグングン良くなっていき、実力試験では常に上位に入るようになったのです。たった父の一言が自分を変えてしまったのでした。
その父の言葉の背後に無条件で私を認め信じている私への深い愛があったことを、私は子供を持つようになってしみじみと感じるようになりました。
もしあのとき、勉強しない私を責め、「勉強しなさい」「勉強しないと将来困るぞ!」とでも言われたなら,果たして私は「はい」と言って勉強したかは疑問です。
親は子を良くするために、その子の悪いところ好ましからざるところを改善しようと試み、その子の悪しきところを上げて、お前はここが悪いからここを良くしなさいと子に迫る。しかし、子は親のその言葉に反抗する。自分を認めてくれないで、「お前は悪い」と言う言葉で悪人にされないように自らを守るために親に反抗するのではないでしょうか。
それにしても、私がこのとき冷静に娘の身になって、父親として投げかける適切な言葉を選ぶことができたのも、親子の言い争いの失敗を積み重ねてきた訓練と、どのように子供に相対すればよいかを生長の家の教えに学んできた結果であると思います。
生長の家総裁・谷口清超先生はご著書『無限の可能性がある』の中で次のように示されている。
《逆に叱ってばかりいたり、口出しばかりしていると、子供はみな自然に育たず反抗への道を進む。それは全く親の育てたい方向とは逆の方向だろう。何故なら、親の行動や表情といったコトバが「お前は悪い子だ、ダメな子だ」というシグナルを送るからである。」》(22頁〜23頁)
《しかしまだ二十歳ぐらいの年齢では、未熟な点も多いし、失敗もあるだろう。中には親子共に困窮し、失敗を重ねたという例もある。けれどもその失敗が、逆に又教訓となって、子供たちを鍛えてくれるから、未成年期の失敗を見て、失望落胆する必要はない。常に彼らの中に実在する「神性・仏性」を信じ、観じ、誉め、はげまして、正しく愛し続ければ良いのである。》(71頁〜72頁)
子育ては、その子の実相(神性、仏性)を観て礼拝することに尽きるのではないでしょうか。子は親の心を反映しています。子に問題があるように見えても、こちら側の心が変わると自然と問題は解決していきます。
この門限破り事件から8年経った今日、この子はとても心優しい子に育ちました。私は別に請求はしていないのですが、父の日には必ず心遣いをしてくれます。また、弟妹の面倒をよく見て、母の力強い味方となってくれています。(平成16年6月30日記) |