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「パパ、今日、泊まっていくの?」
めずらしく早い時間に職場から帰宅したある日の晩、3才になった長男の息子を寝かしつけようと添い寝をしていた時、突然意外な言葉が息子から飛び出したので、そばにいた妻と思わず顔を見合わせた。
「えっ?ここはパパの家だから、とっ、泊まって行くんじゃなくって…、こーゆー場合は泊まるって言わないものなんだよ…」
しどろもどろになりながら一応説明を試みたが、分かったような分からないような顔をして息子はすぐに寝入ってしまった。
小さな寝息をたてる息子の隣で、私たち夫婦は、さっきの息子の言葉の意味を考えていた。
私が原宿の本部に勤め出したのが平成4年7月のこと。その2ヶ月後の9月に結婚し、平成5年12月には長男を授かった。その頃の生活は、とにかく仕事仕事に明け暮れる毎日で、出張で全国を駆け回り、一週間の内2泊3泊は当たり前。4泊することも珍しくなく、出張のない日は、朝7時過ぎには出勤し、帰宅はいつも午前様(決して夜遊びをしていたのではありません・泣)だったため、息子とまともに顔を合わせるのは、休日のみでした。
そのため、当時の息子にとっては、父親とは「一週間に一度だけ通ってくるオジサン」位の認識だったのかもしれません。そのオジサンが、珍しく自分の起きている時間に帰宅し、一緒に寝てくれたので、驚き半分、嬉しさ半分で上記の表現となったのでしょう。
「せっかく授かった子供に対して、この程度の関わり方でいいのだろうか…?」
このことがあってから私は、父親としてのあり方について真剣に考えるようなりました。
その後、長女・次男と次々に授かり、同居していた私の両親と弟・妹を含めると、今では珍しい9人の大家族となったのです。
仕事はというと相変わらず多忙を極め、ほとんど家のことに関わらない、いや、関われない夫を尻目に、妻は育児に家事にと悪戦苦闘の連続で、精神的にも肉体的にもパンク寸前の状態に追いつめられていました。
このままではいつ、家内から逆に“三下り半”を突きつけられるか分からない…(ぞぞっ)と、急に首筋が寒くなってきた私は、妻とあれこれと解決策を話し合うようになりました。
その中で浮き彫りになったのが、「時間の問題」でした。夫が子育てや家事に関わりたくても、その関わる時間が余りにも限られているのです。「この時間さえうまくつくれれば…」
特にネックになっていたのは通勤時間でした。東京の原宿にある本部から千葉の自宅までは往復4時間近くかかっていました。う〜ん、ドラえもんの「どこでもドア」が欲しい!という心境でした。
妻とさんざん話し合った結果、私たち夫婦の出した結論は…、ナント、無謀にも「原宿に引っ越す」ことでした。通勤時間を職場のある原宿に引っ越すことでカットして、時間を生み出せば子育てにも関わることができる――うん!なるほど、名案でした!
早速、物件探しに入ったものの、すぐに自分たちの考えが大変甘いものだと気付かされました。東京では、山手線沿線の内側はサラリーマンの住む場所ではないのです。最低でも家賃は20万以上でした。それでも諦めず、粘り強くあちこち探しまわったところ…、
あった、あったのです!築40年の2K、39平米のマンションでした!ちょっと狭いのですが、まぁ、ガマンしよう。“三下り半”だけは回避したい、との切実な思いでした。
その後、千葉に両親と私の弟・妹を残し、大都会での新たな生活をスタートさせました。なんといっても職場まで歩いて2分!です。(フフ…)朝・昼・晩と家で食事をして、夜は子供を風呂に入れてから、また残業に出かけました…。そして午後10時まで仕事をしても10時2分には家に着くという“キセキ”が実現したのです。まさに自宅は「どこでもドア」。
以前に比べ、妻や子供との会話も増え、仕事と子育ての両立がナントカ成立しました。そして妻はニコニコ、夫はルンルンです。夫婦が円満になったお陰で、その後は順調に、次女と三男と次々と授かり、5人の子宝に恵まれました。やはり夫婦と職場は「ミソ汁のさめない距離」
がイイと実感いたしました。
(平成19年7月7日記)
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