|
●念じたら微熱が出る
実は私には「不登校」の経験があります。それは小学4年からはじまり、中学は無事に過ごしましたが、高校でまた不登校になり、高校3年の時は留年することになりました。
不登校の始まりは小学4年生の時でした。最初は本当に体調が悪く、それを理由に休みました。しかし休みが続くと勉強のことが分からなくなり、余計に行きたくなくなっていきました。そして学校全体が何か暗い陰鬱な存在に思えてきて、そのイメージが自分の心の中に膨らんできました。
やがて身体は何ともないのに体調不良を訴えるようになり、とうとう小学6年の時は大半を休んでしまいました。朝起きると、ふとんの中でぐずぐずしていて、毎日次のようなやりとりをしました。
自分 「頭が痛い、お腹が痛い」
母親 「どこも悪くないから学校に行きなさい」
自分 今度は迫真の演技で 「頭がいたい」
そして心の中で「頭が痛くなれ、お腹が痛くなれ、熱が出ろ」と念じます。すると本当に症状が出て、微熱も出てきました。
母親 「やれやれ、学校に休みの電話をするかねえ」
自分 「今日も学校を休める」と安堵の心境になります。
父、兄、姉たちが会社や学校へ行った後、起き出してご飯を食べて元気にテレビを見るのです。その後、母がパートに出て行くと、もう家には誰もいません。自由気ままになれるのです。この生活がその時の自分には一番心地良かった。学校に行くことは苦痛でしかありませんでした。だから学校のない日曜日は朝から全くの元気でした。その時は、外で近所の子と遊んだりして、普通の生活です。しかし、月曜日になると又、憂鬱になり「病気」をつくって学校を休むのです。これが私の「不登校」の日常でした。
●希薄だった父母の存在感
その時、父母はどういう存在であったかと言うと、一番口うるさく感じたのは「母」でした。父は言うことは言いましたが、あまり気になりませんでした。というより存在が感じられませんでした。父を尊敬するという気持ちもありません。父が不登校の自分の為に色々な民間療法につれていってくれ、父なりに一所懸命やってくれていることはわかりましたが、自分には全然響いて来ませんでした。両親はうっとしい存在でありました。
それは、父の事業の失敗に原因がありました。私が小学2年の時、繊維関係の事業をしてたのですが倒産をしてしまったのです。それから、父は会社勤めをして、兄も大学を中退して会社に勤め、母も朝昼晩とパートに出ました。だから父の家族に「すまない」気持ちが存在を薄くしていたのだと思います。家族からも不満が出ます。私もいつからか心の中で父を責めていました。父は色々やさしくしてくれますが、父とは心が通わないと思えてきました。
中学校時代は「不登校」は影を潜めましたが、母が肝臓癌で亡くなりました。その時はショックでしたが、やはりどこかで冷めたような気持ちがありました。母とも最後まで心が通じていなかったように思いました。高校に入ると、微熱が続くということを理由に又「不登校」がはじまり、こんどは3年の時に留年もしました。しかし、心の底ではいけないことをしているという罪悪感はありました。
●父母の愛情の発見
そんな私も救いが訪れました。大学1年の20才の時、ポストに入っていた1冊の『白鳩』誌によって「人間神の子」の生長の家の真理に触れ、「父母への感謝」を教えられたのです。はじめて父の立場に立って考えました。「いちばん辛かったのは父だったんだ。倒産しても必至で働いてくれた。母が亡くなっても黙々と一所懸命頑張ってくれた」これが分かった時、涙が止まりませんでした。
母への感謝はその後の失恋で知りました。彼女が一方的に去っていくこの悲しみは、実は母が中2の私をおいて一方的に亡くなっていく悲しみだったと気づき、母の愛情を知らされました。「こんなにも自分を思っていてくれたのだ」と。「うれしかった。」自分の心は満たされていき、それと共に脆弱な心は消えていきました。そして私はどんどん生まれ変わっていったのです。
今は結婚して4人の子宝を授かりました。子供が無邪気に私に飛びついて来てくれる。それが親としてうれしい。はじめて分かりました。かつて私が父母に反発していた時、父母はどんなにか辛かったろうと。
●父との和解と感謝
今から2年前の冬、父は昇天しました。実は心が通い本当に父に感謝出来たのは晩年になってからだと思います。父の深い愛情が次ぎ次と分かってきました。もう体も弱っていて病院に見舞いに行った時、父と色々話しをしました。耳が遠かったので主に筆談でした。その父の死に際しての事を父が亡くなってから和歌にしました。今は父のことを思うと父の愛情でいつも心が熱くなります。
<父に捧げた和歌>
・見舞いでも 名古屋は遠い 洋君 早く帰りと やさしい言葉
・寿命だと 感じてもなお 神祈る 何が何でも 父助けたく
・病床の 父に涙の 誓い事 次生まれても 子供にしてね
・力無き 父の最後の 筆談は 早く洋君に 会いたいだった
・出棺時 三日前の夢 思い出す 別れの言葉 父さん行くよ
・春なれば わが子たちとで 桜見の 父と約束 今はかなわじ
・生きぬきて 父旅立ちぬ 母の待つ 祖父母の迎う 天国浄土
・今となり 目に浮かぶのは 病室で 皆なと見舞う 母の御姿
(平成15年7月28日) ◆不登校に関する相談受け付けます。
絵をクリック→ |