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近況: 長男、長女が夏季小学生練成会(東京第2)に参加。感想は「楽しかった」。

●解説>>

  私は現在4人の父親となり、子供のころの不登校の時の親との関係がどうであったのかを考えてみました。総裁・谷口清超先生は子供に対して「愛の表現」が大切であると次のようにお説き下さっています。

<<愛は全て「表現」によって効果を現す。それは夫婦の愛でも、親子の愛でも同じこと。いくら心の中で切実に愛していても、正しい「表現 」を欠いていると、せっかくの愛が「ない」のと同じ結果になってしまいます>>    (谷口清超先生著『父と母のために』P.175)

●愛したくても愛せない

 私の場合は、何かしら父母と距離が感じられました。私が生まれて10ヶ月の頃、母が瀕死の交通事故に遭いました。一命は取り留めたものの何ヶ月もの入院生活だったそうです。当時、家は事業をやっていて、遠い親戚に当たる「おたい」さんと言うおばあちゃんが住み込みで家事をやっていました。ですから私はそのおばあちゃんに面倒を見てもらったのです。母が元気になってからも私はこのおばあちゃんと寝ていました。
 その後、家が倒産後、母は朝昼晩とパートに出ましたから、なかなか家にいません。母とは縁が薄かったかも知れません。母がいつも言っていたことは「洋君(私のこと)は私になついてくれない」という言葉だったそうです。愛の表現をしたくても出きない時期があったのです。 父は、私が小さい頃は、家族でよくどこかへ連れて行ってくれました。写真がたくさん残っているから分かります。父は倒産後、みんなに辛い思いをさせ、家族にはどうしても遠慮がちになっていたように思います。私が何を言っても反応がないように感じられました。父も精神的に辛いことが多くてなかなか私のことを構う余裕がなかったと思います。

●平等の愛の欠如

 谷口清超先生は、平等の愛が欠如すると問題児が起こると次のようにお示し下さっています。

<<しかし、この世には「全く完全無欠」ということはありませんから、時には何らかの理由で、ある子供を特別可愛がるとか、特に面倒を見るという事情が出てくるかもわかりません。けれどもそれが感情的な痼りになると、とても面倒なことになりますから、注意しなくてはならないのです。
 というのはどの子もみんな本質的に父母から「愛されたい」と思っているし、父母を「愛している」。すると当然「愛情のしるし」も同じように欲しいのです。ところが誰かある特定の兄弟だけが 「特別待遇」されていると気が付くと、心中はなはだ穏やかならず、競争心が起こってくるし、嫉妬心も涌いてくる。
 こうしてせっかく仲よく暮らすはずの兄弟姉妹が、争ったり病気をしたり、時には非行に走るという面倒なことになる。これは父母の愛情の問題であるとともに、その表現の問題です。どんなに心の中で 「同じように愛している」と言っても、その平等の愛が「表現されているか」どうかということが問題となるのです>>(谷口清超先生著『父と母のために』P.174)

 私は5人兄弟の末っ子で一番上の兄とは一回り離れています。一番下の姉とも5才離れていまして、環境の違いで幼少期は上の兄弟よりも寂しい時期を送ったと思います。ですから心の底でかってにみんなと違うと思ってしまったかも知れません。

●父の母への愛情

 父は母へも「愛の表現」がうまくないと子供ながらに感じていました。そして母亡き後、家に母を祭る神棚が出来ました。神道なので仏壇ではなく神棚なのです。仕事や学校に行く時、皆拝んで行きましたが、父は毎日必ず、祝詞をあげていました。又「末子よ」と話かけてもいました(末子とは母の名前です)。そして、徐々に父は母のことをとても愛していたと分かってきました。そして、父が毎日祝詞をあげるようになってから7年後、私はついに「生長の家」の真理に触れ、両親の深い愛情を知ることが出来たのです。父の「愛の表現」がもたらしたものと私は思っています。
(平成15年7月29日)

 

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