●解説>>
私の両親は生長の家の熱心な信徒で、私の実家には「神の子には病気は無い」とのことで薬は置いていませんでした。子供の頃、風邪でもひけば、聖経『甘露の法雨』を母が読誦してくれたことを思い出します。不思議と病は癒され、小学校の6年間を休まずに通うことが出来ました。
しかし、実際に我が子が病気になった時、自分の信仰の浅さを感じさせられました。母が私にしてくれたように、聖経を読誦しても回復しないのです。熱を出す子供を前にして、右手で聖経を持ちながら、左手は子供の額に手をあて熱をチェックしていました。口では聖経『甘露の法雨』を唱えながらも、心は病気をつかみ、この病気をなんとかしようと焦っていたのです。
聖経『甘露の法雨』の霊の項に"実在にあらざる物を実在せるが如く扱うこと勿れ"とあります。「子育て」をして行く上で大切なお言葉だと思います。
現象世界は変化の連続であり、心に応じて子供の病気など様々な形で現れますが、つまるところは「実在にあらざる物」なのです。アラワレては消える影なのです。しかし影でも、その現象の不完全に心が引っかかり、「実在せるが如く扱ってしまう」ということになりますと、いつまでもその不完全さは消えません。常に、変わらざる実相世界を信じ・礼し・敬することが大切になってまいります。
そこで、聖経『甘露の法雨』にあります霊の項には更に"仮相に対しては実相を以って相対せよ。闇に対しては光をもって相対せよ"とあります。光の前に闇は消えるのです。闇とは光の灯っていない消極的な状態ですから、ただ光さえ灯したら闇は消えるのです。光と闇は戦っているのではなく、闇は光の不在であって本来無く、光のみ実在するのです。神様に振り向きさえすれば良いのです。
ですから、子供の病気に際しても、病気の状態を「アリ」としてつかんでしまうのではなく、「アラワレ」は消え行く影の姿として感謝しつつ、光の言葉である聖経『甘露の法雨』をただそのまま読誦し、光を灯せば闇の病気は消えるのです。
また、病気の原因である心の「迷い」も、本来無いのですから詮索する必要はなく、『大調和の神示』(※註5)に示されている如くに、天地一切と和解(和解とは感謝すること)して、全てを赦した時に神様の癒しが働きます。外界はあくまでも内界の現れですから、先ず心の平和が大切になります。
「子は親の鏡」とはよく言ったもので、親の心がこれほどまでに、子供に影響するとは思ってもいませんでした。「もうすでに赦されているんだよ」との神様の導きの声なき声に、迷いを放つことが出来たのだと思います。赦さない思いも迷いですから、全てを赦し、全て放ち、常に神様に心を振り向けることの大切さを実感しました。
(※註5)『大調和の神示』・・・生長の家の33ある神示の一つ