平成14年7月8日、私の52歳の誕生日に長男から届いた電子メールのメッセージに添付されていたのは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第4楽章のメロディーでした。それは、慣れないスコアー楽譜を頼りに、買ったばかりのパソコンのミュージックソフトにコツコツと入力して作ったデジタル音楽だったのです。パソコン上でその曲を再生してみると、わが子ながら実によくできた「作品」に仕上がっていました。
アントン・ドヴォルザークのこの曲が初演されたのは彼が52歳の時で、会場は割れんばかりの
大喝采を浴びたといわれています。わが息子(19歳)がそのことを知ってかどうかはわかりませんが、父親の52歳の誕生日に、同じ52歳の大作曲家が作曲した曲を送ってくるとは、この偶然の一致に私自身、驚いてしまいました。
この曲の第二楽章は別名「家路」と呼ばれ、人々に愛されている名曲です。息子があえてこの曲を選んだのは、「お父さん、早く家路について欲しいな」という願いを込めてのことなのか……、定かではありません。
早速、この曲を自分の携帯電話の着信メロディーとして設定し、現在も使っています。携帯の着信音が響くたびに離れて暮らしている息子の成長を楽しみにしている父親の一人です。
●親の願いと子供の願い
私の父親は、僧侶で幼稚園経営をする教育者でした。そんな環境に育った私は、幼稚園の中で常に子供たちに囲まれた楽しい生活を送ってきました。ところが、いざ自分が父親として子育てをするときになると、毎日仕事で深夜に帰宅し、起きているわが子の顔を見ることは
めったにない生活になりました。長男が小学生の頃、「お父さん、今度帰ってくるのはいつ?」とたまに聞かれるのが辛かった事を覚えています。
「毎晩、おまえたちが寝静まってから帰宅しているんだけど……」とは言ってみるものの、信じてもらえない。当然の事ながら、子育ての全ては、常に妻に任せっきり
になり、一緒にいてやりたくても、仕事優先の環境ではどうしてもそうなってしまったものでした。
しかし、夫婦でよく語り合ったことは、「子育ての全てを神様に任せよう。そして夫婦円満で夫婦は常に同じ教育方針で子育てをしよう」ということでした。ただ、私自身、心の中でどうしても整理できないことがあり悩んだことがありました。それは、自分が高校の教員で他人の子供に教育を施していながら、わが子には仕事
、仕事に明け暮れる日々で、満足に教えることもできないと云うジレンマに心が悩んだわけです。
息子が4歳の頃、私の母親が主宰していた「音楽教室」で、私の母親からオルガンの手ほどきを受けていました。小学校に通うようになり、いつの頃からか、友達がたくさん出来て遊ぶことに熱中しだしていたころです。
私も音楽が好きでピアノは得意でした。そこで、いよいよ私がピアノの訓練を受けさせようと思っていると、次第に息子は音楽の道から遠ざかっていくようになりました。小学2年の頃にはピアノにも全く触れようともしなくなりました。
それまで親心として、この子には音楽を仕込んで、音楽の道を歩ませてやりたい……と願っていた私にとって、これは大変ショックなことでした。妻は、「子供たちは、神様からの預かりものだから、人様のお役に立つように健康に育てさせて頂くことが親としての努めだから、それ以上の高望みはしないでおこうよ」と、いたって
のんきに構えていました。
ある日の私と息子(小学2年)との会話です。
父親:おい、ピアノを弾こうよ。
息子:だって遊ぶほうがいいもん。友達と遊ぶ方が楽しいよ。
父親:(しばらく無言)だけどね、音楽をやっていると楽しいよ。漢字でね、音楽というのはね、音が楽しいって書くんだよ。ピアノで音を奏でると自分も楽しくなるし、聞いている人も楽しくなるんだよ。
息子:ふーん。だけどね、僕は音を弾いていると苦しくなるよ。(音が苦しい……なるほど、音が苦=オンガクか、と苦笑してしまいました)
父親:(笑っている場合じゃない)一緒にピアノ弾こう。
息子:(思いっきり走って行ってしまった)
父親:(ため息)
息子が8歳頃に交わしたこの会話を覚えているか否かは別として、息子の心の中には音楽に対する何かしら秘めたものが芽生えていたのかも知れません。
やがて10年の年月が経た時に、息子が思わぬ形で音楽をプレゼントしてくれ、私が驚いたというわけです。
父親のひとりごと:今も帰る時間は相変わらず遅いけれど、全くそれが苦になってはいません。それどころか、毎日、神様のお仕事にこの身のすべてを捧げきることが出来るからです。感謝合掌の生活が出来ること……そのことが嬉しい毎日だからです。(平成15年8月16日)