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私は5男3女の子宝に恵まれましたが、8人も子供がいますから色々なことがありました。特に7番目の男の子には、妻もほとほと手を焼いていました。彼が幼稚園や小学校時代の時、友達を突き飛ばしたり叩いたりして、怪我をさせたりしたことがたびたびありました。その時には担任の先生から連絡があり、その都度、妻はお菓子を持参して、その子の家に謝りに行きました。
高校になると、夏休みはいつも友達と近くの保津川(舟下りで有名)の高い岩場から飛び込んで、遊んでいました。ある時は水かさの増えた日に飛び込んで下流に流され、九死に一生を得たこともありました。妻は若者が水難事故で亡くなる報道を見聞きすると、「もう飛び込みだけは絶対しないで」と懇願するのですが、そんなことは全くお構いなしでした。
妻が「自分の手には負えない」と私にこぼすたびに、私は「いや、これがこの子の素晴らしい個性なのだ、きっと将来大物になるに違いない」と話しておりました。
私はこの子が本当は優しい子であることは分かっていました。それは幼稚園の父親参観日、栓抜きの柄に自分で絵を描いて父親である私にプレゼントしてくれたのです。その時、彼はその栓抜きを差し出しながら「また一緒に寝て下さい」と言ったのです。彼は下に8番目の子が生まれたので、お母さんとは別に寝るようになり、私と一緒に寝たことがよほど嬉しかったのでしょう。
私の目から見ればそんな優しい子でした。友達を泣かせてしまうのも決して悪気があるのではなく、8人の中で切磋琢磨していますので、遊んでいるうちに兄弟と同じようにやってしまったのだと思います。
先生の敷いたレールに乗らなかったのも、子供の中にただ興味と必要性を感じなかっただけのことです。反面、自分の好きな道はとことんやりました。小学生の頃、地域のサッカーチームに入りましたが、野球の1軍、2軍のようにA、B、Cのランクに分かれ、3年間ずっとCクラスにいて応援と球拾いばかりしていました。たとえレギュラーとして試合に出れなくても、黙々と応援と球拾いをしている姿を見て、私の目にはこんなに素晴らしい子はないと思えました。
しかし、父親の私が始めからこんな心境になれたわけではなく、子育ての初期のころは、言う事をきかない次男を投げ飛ばしたこともありました。ところが子供を5人、6人と育ててくると、だんだんと現象に振り回されず、生長の家で教えられているように、その子の素晴らしい点を信じてあげられるようになってきたのです。
学校の先生を散々てこずらせた彼は、今は大学3年生になり、将来は「国語の先生になりたい」と希望を抱いています。教師を志望する理由のひとつには、「自分のような子どもの立場になって考えてあげられるから」と話していました。(平成15年9月30日)
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