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●解説>>
子供は中学生や高校生ぐらいになると自我が確立してきて、親の言うことをそのまま受け入れるということは難しくなることもあります。まして信仰という心の奥底の問題になると、「この教えは素晴らしいよ」
と言って聞かせても反発をくらうケースもよく耳にします。
私の長女(高3)は、小学生のころは毎回参加していた生長の家の青少年練成会(合宿形式でみ教えを学び実践する集い)に、中学生になると参加しなくなりました。それでも私は、青少年練成会に参加を強制したり、強く勧めることはしませんでした。
ところが、平成15年の冬の青少年練成会で大阪教区に派遣講師として出張した私の後を追って、彼女は埼玉から列車を乗り継いでその青少年練成会に参加してくれたのです(つまり父親である私の講話を聞きに来てくれた)。自分自身で心に決めて生長の家の練成会に参加した、そんな娘は親として頼もしく感じました。
このような娘の変化はどこから生まれたのか、さしたる理由も見つかりません。しかし、私たち家族5人は、とにかく何でも話し合うようにしています。自分の失敗談やプライペートな秘密は大人でも話したくないものですが、それをお互いに素直に話せるそんな親子関係があったからでしょうか。
生長の家総裁・谷口清超先生は、『無限の可能性がある』(日本教文社刊)の中で次のように説かれています。
<<しかし子育ての間は、サルも人間も、決して子供を放り出したままにしておくものではない。いつも離れた距離で見守っているし、時にはしてはいけないことをすると、きびしく叱るのだ。猫でも時に子猫を前肢で叩くことがある。しかし彼らは人間のようにコトバをうまく使えないが、人間にはいくらでもコトバが使える。だからこれをうまく使って、善い事をした時は喜んでほめるとよい。するとその方向に、子供はのびて行くのである。
逆に叱ってばかりいたり、口出しばかりしていると、子供はみな自然に育たず反抗への道を進む。それは全く親の育てたい方向とは逆だろう。何故なら、親の行動や表情といったコトバが「お前は悪い子だ、ダメな子だ」というシグナルを送るからである。>>(P22〜P23)
生長の家は、「コトバが人生をつくる」と教えていて、この「コトバ」は文字や話す言葉だけではなく、身体の表現(行動)や心の思いも含まれるといわれています。ですから、夫婦が仲が良いということは、ちょっとした言葉で語られたり、日々の互いの表情にも表されたりするので、自然と子供たちに「お前は良い子だ」というシグナルを言葉や表情で送っているということになるのだと思うのです。(平成16年10月3日記) |