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●≪解説≫ 

 
自宅出産を選択した時、それまで出産は女性の神聖な一大事業だから男性には立ち入れない部分だからと人任せに考えていたのですが、そうも行かなくなり、私も今まで読まなかった生長の家の聖典 『新しい結婚』(谷口雅春先生著)を読んだり、出産教室に行くうちに“夫婦で協力して新しい生命を迎えよう”という気持ちに変わっていきました。
自宅分娩を選択した妻にも不安が無いわけではありませんので、夫として出来限りのサポートをしてなければなりません。幸い私は当時治療師として臨床をしていましたので、健康面つまり体の手入れの担当はしっかりとしました。妊娠中は基本的に下半身への施術はしません。その代わり肩こりや脚のだるさと言った部分を解消するよう、まめに声を掛け治療をしてあげました。普段は妻の治療なんてなかなかやりませんから、相当に優しさを感じてくれていたようです。

 さてもう一つ大切な事は胎教の問題です。胎教について生長の家総裁谷口清超先生は著書『幸せはわが家から』の中で次のようにお説き下さっています。
  <<子供の教育は親がするものである。時々学校や幼稚園の先生がしてくれると思っている人もいるが、これは間違いで、先ず親がするのが「動物全てのもの」の原則である。親の中でも母親の教育力は実に素晴らしい。まずおなかの中に宿した時から、基本的な教育が始まる。そこで妊婦さんの心の持ち方や、いかに人を愛し、動植物を思いやるかが、将来の若者がどのように育って行くかをきめることになるのである。>>(92頁)

  胎教として妻が先ず努力していたのは生長の家で行う座禅的瞑想法の神想観の実修でした。それから生長の家の聖歌や講義のテープも母が良く聴かせていました。また近所で開催される生長の家の集いには出来るだけ参加して居ました。
 私として心掛けたのは、腹を立てないということでした。当時はまだ短気な傾向のあった私でした。私が妻と言い争いなどして不調和になるということは、胎教にも母体にも悪影響があるというのは分かり切ったことでしたが、そのために腹を立てないと言うのは相当に難しかったです。けれども次第に出産が近づくにつれ、何でもあったことを受け入れようとの覚悟が出来、そのうちあまり怒らない自分に生長させて貰っていました。

 さて妻に自宅分娩と病院での出産との違いを尋ねてみました。すると一番に安心感の差を答えました。病院で冷たい雰囲気の分娩室(手術室を兼務する為)でマスクをした医者や看護婦さんに囲まれ、何の薬剤が入っているか良く判らない点滴を打たれながら出産するよりも、自宅の方が随分リラックス出来たようです。例えば出産直前まで一時間くらい風呂にゆっくり入っていました(これは私としては少し驚きでした)。その感想を聞くと陣痛が随分楽になったそうです。また生まれる直前にもあれこれ好きな体勢になることが出来、病院でベットに括られるのとは大違いだと言っていました。
 
妻が一番強調していたのは子供が安心すると言うことでした。つまり母体である妻が緊張すると赤ちゃんも緊張します、それが病院だと出産の時もそうですし、大抵は生まれた後 、直ぐに新生児室に連れて行かれ、母親と離され、冷たいベットに放置されますから、幾ら看護婦さんを信頼するとは言っても、子供が不安な気持ちになるだろうからそれが一番可哀相だと言っていました。(最近の産院では母親と新生児が共に過ごせる所も増えてきたようです)

 この貴重な体験を通して私の父親としての自覚も一つ深まって行ったように思います。
お陰様で子供達は元気に育っており、大騒ぎの毎日を過ごしています。

                                                      
    (平成17年10月4日)

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