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●≪解説≫
その後、不思議なことに、続けざまに車にはねられた犬や猫の死骸に遭遇しました。しかし、あの出来事以来、いつでも処置できるように段ボールとビニール袋は車のトランクに常備するようにしていましたので、再び轢かれないように道端に置き、交番等に連絡し、その後の対応をお願いしていました。このようにそのまま放置できない心境になっていた私でした。
転勤で東京に来てからは、車を運転しない生活をしています。そのため犬や猫の死骸に出逢うことは無くなりました。しかし何か人のために尽くしたい気持ちから、住まい周辺の清掃活動という形でタバコの吸い殻や空き缶等のゴミ拾いを実施しています。
これは動物の死骸があることに気が付いていても、「誰かがやるだろう」と見過ごさなかったことで、自分がさせていただく大切さを学んだからだと思います。あの時、娘から言われた「・・・とにかく、あのままにしないでよ。」という言葉は、今でも私の心の中に響いているのです。このことについて生長の家総裁・谷口清超先生は次のようにお示し下さっています。
<<この世の中は、楽しく送らなくてはいけない。しかし、その楽
しみは、ひとに迷惑を与えたり、ひとを困らせたりするのでは、本当ではなく、何となく心苦しくなるものだ。それは人の「本心」が神様や仏様の心と同じだからである。
そこで、一番楽しいのは、人に深切(親切とも書く)をしたときだ。道に迷った人に、ちょっと道案内をしてあげるだけでもよい。いやもっとカンタンなことで、道ばたに落ちているゴミや空きカンを拾うだけでも、町や村の人たちに深切をしたことになり、楽しいものである。(中略)
一人ひとりが気のついた「よいこと」をすればよい。しかもその中の一人は「自分だ」と気がつき、一日に一つでも「深切をしよう」と思って、実際にやり出せばよいのである。
『神性を引き出すために』132頁〜134頁>>
子供達の素行の善悪は、幼いときに周りの大人のどんな行動を目にするかが大変大きな影響を与えると思います。私達父親は、しっかりと行動で示す役割があります。
またゴミや空き缶拾いを実践していて感じるのですが、「よいことをした」という「本心」の「内なる声」を聞いた経験のある人は、決して捨てる側にはなりません。どんな小さなことからでも「よいこと」をする人の仲間を増やしていくことは、子供の教育は基より、人類や地球全体の資源や環境を守っていくことにも繋がると考えます。
「ゴミを捨てる人よりも拾う人が多くなったらよい」と言う言葉を先輩から聞きました。私は素敵な言葉だと思っています。
(平成18年10月3日記) |