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私は、大学浪人の長男、高校三年の次男、高校一年の三男と3人のすばらしい子宝に恵まれました。
しかし、この原稿の依頼があってからは、自問自答の毎日でした。
「果たして、自分は父親としての役割を充分に担ってきたのだろうか」、極端に云えば「父親」という及第点が与えられるのだろうか等々。
ことわざに「四十にして惑わず」というのがありますが、私の40歳代はまさに、仕事に全力で取り組んでいた時代でありました。遊園地に家族で出かけることも少なく、子供とキャッチボールをすることもあまりなかったように思います。このように、全く子供のことはすべて家内にまかせきりでした。
また、父親の役割とは「何か」と考えるとき、ある一種の「戸惑い」というものを感じています。それは、何が帰因しているのかというと、普段子供と接している時間もそう長くはないということもあるでしょうし、どんな問題が起こったにしても、確実な「処方箋」や「対策」というものを持ち得ていないという事情もあるのだろうと思います。
その意味では、どのような子供の問題にも対処できる“確かなモノ”があれば、父親としての“戸惑い”もなくなるはずなのでが・・・。
昨年10月、次男が病気(重隔腫瘍)であることが分かったとき、私はやはり戸惑いました。その時、彼が言ったことば、「兄弟はみんな健康なのに、僕だけなぜ?」という問いかけに、私は、返すことばもなく、まったく為すすべもありませんでした。どんなことばも無力に感じたからです。
普段は生長の家の教えにあるように「人間は神の子であって、病気は本来存在しない」と信じ、かつそう説いている本部講師である私は、どうして次男が病気になったのかと、その原因を考え込まざるを得ませんでした。
それは、生長の家の教えは現象世界の法則として仏教で説く“因果の法則”を認めていますから「この病気は私の何の罪の結果であるのか」と悩みました。また、過去の行ってきた行為に過ちはないかを詮索したりするなど、私の心は乱れました。しかし、どう考えに考えをめぐらしたところで答えは出て来ませんでした。
私たち夫婦がとるべき道は、結局のところ生長の家の独特の座禅的瞑想法である「神想観」とお経である『聖経』を読誦することでした。私は神想観と共に、聖経を毎日4、5巻を誦げ、妻は10巻ほどを読誦し続けました。
診断結果がでてから手術まで約3ヶ月、私の心はこの祈りと聖経読誦によって、少しづつ変わってまいりました。その結果、心が平安になり、乱れはなくなってきたのです。
次男は四時間に及ぶ手術の結果、腫瘍の部位が取り除きにくい心臓と脊椎の間にあったにもかかわらず、無事に摘出することができたのです。彼は術後も順調に体調が回復し、一週間後に退院、その5日後に登校することができました。
久しぶりに次男が病院から自宅に帰ってきたときのこと、私は、幼児の時以来、はじめて彼を抱きしめました。それは、どんな言葉も嘘っぽいと思ったし、と同時に彼が今までの辛い経験を耐えてきたことへの讃歎とねぎらいの思いを代表して抱きしめたのでした。
今振り返ってみて、この時以来、私と次男はまた新たな心のつながりが出来たような気がします。
こういった体験を通して、子供にどんな現象があらわれてもそれに対処できる“教え”があるということは有難いと改めて思うようになりました。それとともに私の父親としての“戸惑い”も消えていきました。
(平成16年11月2日)
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