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私には小学6年生を頭に4人の子供がいます。上の3人は男児(6年生、4年生、2年生)、末子が4歳の女児です。平成11年2月24日、末子の
さゆり(仮名)は2,700グラムの体を頂いて自宅で誕生しました。この子のへその緒を切りながら、私は初めての娘の誕生に嬉しくてなりませんでした。 
ところが、数日後、助産婦さんから家内に思いがけない電話が入り、それを聞いた私もわが耳を疑いました。
「さゆりちゃんは障害があるかもしれないから、病院で検査を受けて下さい」驚いた私たちは、赤ん坊を抱え、紹介された大学の附属病院ですぐに検査を受けました。そして検査結果の報告日を待ちました。病院からの呼び出しの日、担当医から聞かされた言葉は、「子供さんはダウン症のため、知的障害と心臓病などの合併症があります」というものでした。私と妻は奈落の底に突き落とされた気持ちでした。
この時、私の気持ちは「何故? 生長の家を信仰してきたのに」「私たちが何か悪いことをしたのだろうか?」というものでした。子供の障害という現実の前に、自分自身を審き、自分の運命を呪いたい気持ちになりました。自分が長年、生長の家を信仰し、しかも生長の家の教えを伝える「本部講師」であることなど吹き飛んでいました。
間もなくさゆりは心臓の治療のため、入退院と通院を繰り返すことになりました。妻は、入院時には付き添いで泊まり込み、その間は妻や私の母親に上京して貰い、上の3人の子の世話をしてもらう、そんな日が続きました。
そんな中、私は真剣にみ教えを求めました。生長の家では、障害を持ってこの世に生まれる子は、自ら不自由な肉体を選び、一層魂を磨こうとする高級霊だと教えられています。また一方では、こうした子を授かったのは、夫婦の精神的な葛藤などが起因しており、夫婦や家族の魂を磨いて下さる「観世音菩薩」(注1)であるとも教えられています。私は、毎日、神想観と聖経読誦を続けながら、さゆりを授かった意味を考え続けました。しかし、当時は子供の現象ばかり見てしまい、苦しさだけが先に立っていました。
やがてさゆりが一歳になったある冬の日のことです。その日は通院日で、職場(生長の家本部)の定休日でしたので、私が病院に連れていきました。それは初めてのことでした。自宅からバスと電車を乗り継ぎ約1時間半、往復3時間の道のりです。病院に着き、2時間待ちでようやく診察。帰ろうとして
さゆりを抱いて背負い紐を締めようとすると、慣れないせいか上手く締められません。それを見ていた隣の中年女性が手伝ってくれ、何とか吾が子を背負うことができました。
その時、帰りのバスの車中で私の心に感ずるものがありました。それは、これまで妻に大変な苦労をさせてきたのだなあということでした。
さゆりの出産以来、入退院の繰り返しで、妻はその度に付き添い、退院後も通院の毎日。付き添い中は、3人の息子達のことも気がかりだった思います。私にはあまり言いませんが…。そんな妻の心をその時の通院の一事で気づかさせてもらったのです。
振り返ると、結婚以来、私の気遣いの不足から、かなり苦労をかけてきたようです。それが妻に精神的な葛藤を起こさせていたように思います。胎教にも影響があったのかも知れません。私は妻に心から詫び、以来、感謝の思いを言葉と行動で表すように心掛け、休日には家の事はできる限り手伝うようになりました。
その後、転院した病院で、心技とも優れた主治医に巡り会い、一昨年、その病院でさゆりの手術を受け、心臓病は完治しました。現在は近所の療育施設に通い、様々なリハビリ訓練を重ねています。ちなみに、以前の
さゆりは、顔の表情に全く変化がなかったのですが、最近は、私が仕事から帰って抱っこすると、時折、ニコッと笑うことがあります。そんな時、私は無性に嬉しくて、
さゆりの生命が着実に生長していることを確信しています。
私は、改めて彼女は私たち家族の魂を磨いてくれる観世音菩薩であり、さゆりを通して、人間には肉体の奥に永遠不滅の無限に成長する神様の命が宿っていることを実感させてもらいました。
さゆちゃんは、まさに私たち家族を幸せに導く天使としてわが家に舞い降りてくれたと感謝の毎日です。
(平成15年11月30日記)
(注1)観世音菩薩とは仏像から想像するように具体的な人格のある仏様ではなく、心で観る通りが外界に現れるという「心の法則」を人格化して表現したもの。観世音菩薩は、相手の心に従って相応の姿をもって現れ、その人の心の姿を映し出してみせてくれて、間違った心持ちを気づかせてくれる。その意味で観世音菩薩は、人を救わんとする仏の大慈悲の働きであるとも言われている。
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