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近況:息抜きはミステリーを読むこと。西村京太郎の著作はほとんど読んでいるとか。

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◎肉体は生命の表現の座

   私はさゆりを授かり、生長の家の教えを学びお伝えする者として多くの大切なことを学ばせて頂きました。
第一には、人間は本来神様の命を宿した神の子であり、肉体は人間の心の現れであること。さらに、人間の心が現わした姿が、時には観世音菩薩として私たちの魂を磨いて下さることを強く学んだと思います。

   谷口雅春先生は、『真理』第二巻(59頁〜60頁)に「肉体は生命の表現の座」と題して次の通り示されています。
「人間を単なる物質的存在だと考えている限りに於て、その人は物質に縛られている物質的奴隷であって完全なる解放を得ることは出来ないのである。人間は霊的存在であり、物質的様相はただその表現であるということを先ず知ることが、物質的束縛から超越出来る第一歩なのである。人間は「神のコトバ」によって造られたる神自身の最高表現であるから、その表現の「座」として肉体をあらわすのである」

◎かけがえのない絶対価値

   親は、往々にしてわが子と他人の子とを比較したり、兄妹同士で優劣をつけて、励ますつもりが逆に劣等感を植え付ける結果になることがあります。私も3人の息子まではそんな苦い体験をしたことがあります。しかし、 さゆりを授かった今は、子どもは神様から命を頂いたかけがえのない存在であり、生きていてくれるだけでありがたいと思えるようになりました。そして、4人各々に神の子として比較や相対を超えた絶対の価値と個性があると思えるのです。

   谷口雅春先生著『新版 栄える生活365章』76頁には、「自己の絶対価値を生きよ」として次の通り示されています。
「(前略)人間の価値を比較によって定めようとするのが本来間違いなのである。人間の価値はそれぞれ絶対価値を内に孕むのである。その絶対価値を表現しさえするならば、其処には必ず素晴らしいものがあらわれるのである。植物にしても、藤の花には藤の花の絶対価値があり、桜の花には桜の花の絶対価値がある。彼らは模倣したり比較したりしないで、唯自分に與えられたる天分を花咲かせているのである。そして彼らは比較を超えた美しさを発揮しているのである。人間もそのようにあるべきである。」

◎育てる資格がある

   妻は以前から週に5日間、さゆりを近所の療育施設に通いリハビリを続けています。昨年からは職場の休日(木曜日)は、私が行きます。そのリハビリ訓練には、やはり3歳〜4歳児の同様の障害を持った子が十数人通ってきています。
 私はこのクラスに通い、最も感じていることは、参加しているお母さん(20歳代〜30歳代)達が皆、とても明るく前向きに生きていることです。恐らく、これまでには言うにいわれない苦労があったと思いますが、その苦労の壁を突き抜けたような明るさ強さを持っているのです。私はそんな光明面を見るお母さん方からも毎週、元気をもらっております。
これまでさゆりを育てながら、五体満足な家庭にはない、いろいろな経験をさせて頂きました。今ではみ教えのお陰でこんな心境になることができました。
「私たち家族には育てる資格があるから、神様はさゆりを授けて下さったのかな・・・」と。
                                        (平成15年11月30日記)
            

 

 

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