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私には3人の娘がいます。米国サンノゼに赴任したのは2000年の10月でした。最初は単身赴任でしたが家族は少し遅れて2001年1月4日に越してきました。
当時は私の仕事が着任早々で忙しく、あっと言う間に時間が過ぎて行きました。暫くして慌てて現地の米国人が通う幼稚園に長女の入園の申し込みをしました。(この幼稚園は午前保育でした)
通い始めて暫くしたある日、幼稚園から「直ぐに迎えに来て下さい」と電話がありました。急いで駆けつけると、娘は泣き叫び涙が止まらないというパニック状態になっていました。当初は父親である私も誰であるか認識できない様子でした。
普段長女と接する時間があまりなかったことが幸いしてか、自分でも驚くほど冷静に対処出来ました。直ぐに病院に連れて行くにしても、状況が把握できない上、私が医者に英語で十分説明ができないこともあり、自宅に連れて帰ることにしました。
自宅に帰り、ほどなく落ち着いた娘に聞いて分ったのは、実は娘はトイレに行きたかっただけであったことでした。ところが言葉の壁があり、先生に言えなくて我慢の限度に達し、異常な緊張から気が動転してしまったようでした。
このパニック事件は一件落着しましたが、その後、長女は幼稚園に行きたがらなくなり、私達は困りましたが強いて通わせました。これは幼稚園で英語が通じないということが問題だと考え、日本語で運営されている幼稚園(
週二回の午後保育)を探して、そこにも通わせることにしました。
私自身も初めはこれで問題が解決したように思っていましたが、米国に住みながら日本語学校にも通っていては、米国人とのコミュニケーションが積極的なものとなりませんから、このままでは根本的な解決にはならないと思うようになりました。
それから二ヶ月ぐらいして、私は子供に改めてコミュニケーションをとり「何かしたいことがあるの?」と尋ねてみました。それは子供の長所、つまり得意なところを伸ばすと
彼女の自信に繋がるからです。内に籠もった気持ちを外に出していきたい思いもありました。
その私の問いかけに対して、娘は素直に「私、本当はピアノが習いたいの」と話してくれました。娘の気持ちが判ったので、早速ピアノ教室を探して習わせることにしました。暫くするうち彼女は熱心に練習し、徐々に上達していきました。そして自分が表現出来るようになったのか、内なる歓びが湧き出てきたようです。
その後自信を取り戻した長女は、英語の幼稚園にも通うようになり、午後通っていた日本語の幼稚園は半年ぐらいで行かなくてもよいことになりました。
小学校は現地の学校(英語)に通い、今は5年生(最長学年)となりました。そして学校で生徒会副会長に立候補し当選して活躍しています。またフラッグモニター(国旗とカリフォルニア旗の掲揚係)も担当しているようです。
(平成17年11月25日)
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