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 プロフィール

  私は、生長の家を信仰する家庭で育ちました。小さい頃から母親に、「あなたは、お父さん、お母さんの大事な大事な宝だよ。神の子ですばらしいんだよ」と言われていました。母は毎日、お仏壇の前に座り、生長の家独特の座禅的瞑想法である「神想観」を行い、生長の家のお経の一つである聖経『甘露の法雨』を読んでいました。信仰的な母から愛情一杯のコトバを受け、「将来自分も家庭を持ち、赤ちゃんを授かったら、母親のおなかの中にいる頃から、父親としての気持ちをコトバで伝えよう」と考えるようになっていました。
  私は、昭和60年から長崎県西海市西彼町にある生長の家総本山に職員として住まわせて頂いておりました。昭和62年12月に結婚し、まもなく妻が妊娠したことが分かりました。私は妊娠初期の頃から、妻のおなかをなでながら、赤ちゃんに対してコトバをかけました。朝職場に向かう時は「赤ちゃん、お父さんだよ、お仕事に行ってくるからね。お母さんの言うことをよく聞いて、お利口さんにしていてね」、夜帰宅すると「赤ちゃん、お父さんだよ、ただいま。お利口さんだったね」−−−このように語りかけていると、赤ちゃんが生長するにつれ、私のコトバに答えるように母親のお腹を蹴るようになりました。私たち夫婦は、赤ちゃんがお腹の中にいる頃から、親子の生命の繋がりを実感していましたので、長女が誕生した時の感激は、何とも言えないものでした。

  しかし、長女が小学校高学年になると、父親である私との会話がめっきり少なくなりました。高校に入学する頃には、私とあまり顔を会わせないようにし始めたのでした。俗に言う“反抗期”だったのでしょうが、私たち夫婦にとって最初の子供であり、さらに私自身が自分の両親にあまり反抗しなかったこともあって、長女が私に対して反抗的な態度をとる度に心を痛めていました。今では私以上に妻や、さらに本人が一番辛かったのではないかと思います。     
  私は神想観の中で、ニコニコと笑う長女の姿を心に想い浮かべて「神様、娘はすでに幸福で完全円満な神の子です。ありがとうございます」と毎日祈りました。しばらくすると長女を取り巻く環境に変化が起こりました。     
  高校の同級生に誘われ、長女はボランティア部に入部することにしました。その活動内容は、知的障害の方々やグループホームに入居されているお年寄りの方々へのお世話活動をするというものでした。この活動から人様のお役に立つという喜びを感じたようです。すると、別の友人から「日本赤十字社」の活動に誘われ、そちらの方も手伝うことにしました。日曜日には一円玉募金活動や献血への呼びかけを行うために、夏の暑い日も、冬の寒い日も40km以上も離れた長崎市内まで路線バスで出かけるようになりました。また、高校3年生の時はベトナムに「青少年赤十字海外派遣事業」の一環として派遣されるなど熱心に活動していました。
 
  そんなある日、祖母から全国の大学や短大・専門学校を受験要項等を紹介した分厚い本が送られてきました。数多の学校の中から、福岡県にある「日本赤十字九州国際看護大学」という学校が長女の目に留まりました。そして、「この学校に進学し、将来は看護士と助産師の資格を取得したい」という目標ができたと妻に伝えてくれたのでした。
  その後、「日本赤十字社・長崎県支部」の推薦を頂き、同大学に入学することができました。現在は2年生に進級し、看護士・助産師を目指して日夜勉強しています。
  現実的には、長女とはまだあまり言葉を交わすこともなく、私の方から言葉をかける勇気もありませんが、それでも彼女が持って生まれたすばらしい個性を、大学での勉強を通して表現している姿を見た時、父親として「本当に生まれてきてくれてありがとう」という感謝の気持ちで一杯になるのです。

(平成20年11月26日記)

 
++解説++

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