生長の家理事  相愛会部部長 大下貞雄
 私は昭和9年、広島県安芸津町に生まれました。大相撲の安芸乃島は同郷です。高校を卒業し呉市の造船所に就職して、職場の上司から生長の家に導かれました。当時、私は20才でしたが40歳ぐらいの若年寄りに見られていました。
 その頃、私は「人生はお金が一番」というガリガリ亡者でした。それは10歳で父が病死、翌年に継父がやってきました。その継父が運送業に失敗し、先祖の田畑や山林を売り、家族は貧乏のドン底生活にあったからであります。生長の家に入ってから、大嫌いな継父に感謝することができ、継父の事業も復興して、我が家は地獄から天国に変貌しました。
 やがて見合い結婚をして二人の男児に恵まれました。その頃、日本は産業復興のはじまりで、私は仕事に明け暮れる企業戦士となっていました。家庭は一切省りみず、育児はすべて妻にまかしていました。今でも妻は私に「貴男は仕事のみで、子供が小さいときは全部私(妻)一人で育てましたよ」と威張っています。
 私は39歳で造船所を辞めて、生長の家広島県教化部の職員となり、その後、47歳の時、東京の生長の家本部職員となりました。本部では、相愛会部に勤務し、男性会員の活動を受け持ちました。その2年後から県の責任者である教化部長として栃木県や広島県に赴任。続いて、生長の家本部の企画システム室・中央五者会事務局、相愛会部を担当し、鹿児島、新潟北越、徳島県の教化部長を経て、59歳の時に教化総長として中華民国に赴任し、8年間国際平和信仰運動を行ってまいりました。
 その間、二人の子供たちは親から離れて生活をおくり、長男も次男も結婚をしました。孫は長男が3人、次男が2人と恵まれて、今は私と違って二人とも毎日お父さんぶりを発揮して夫婦で子育てを行っているようです。
 私は本年4月1日より中華民国から東京に帰り、毎日板橋区から満員電車で楽しく生長の家に勤務しております。妻と結婚して早42年が過ぎ、今は人生学校の中程を進んでいるといったところでしょうか。この人生学校は常に新しいことがやって来ます。今は「父親教室ホームページ」が地球上に誕生し、このホームページを沢山の人々が訪問されるのを楽しみ待っております。待つのも楽しみの一つとなりました。(平成14年6月3日記)

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