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ありがとうございます。(拍手)
実は、この時期は秋祭りのシーズンで、私の経営する衣料品店はてんてこ舞いの状態なのですが、本部の相愛会部から、このシンポジウムでの発表を強く勧められ、また、四年前に亡くなった母が入院中、私が誌友会に出講するのを知ると、「病室でうれしそうにしていた」という妹の話がパッと脳裏によみがえり、私が生長の家の活動をするのを亡き母が一番喜んでいると思いましたので、今回の要請を受けることにしたのです。(拍手)
10月号(平成14年)の『光の泉』にも私のことが載っているのですが、私は妻と3人の子供に恵まれ、一家五人で暮らしております。
長女は今年の6月1日に、無事お嫁にいきましたが、私が生長の家を信仰することになったのは、その長女が小学校5年の時、国指定の難病である「潰瘍性大腸炎」にかかったことがきっかけでした。 最初は、便に血が混じる程度だったのですが、そのうち出血が激しくなり、「これは普通ではない」と思って地元の総合病院に連れて行きました。「潰瘍性大腸炎」という診断でしたが、その時は、胃潰瘍くらいに軽く思っていました。
ところが、「この病気はどんどん進行していきます。効く薬はないし、悪くなると大腸を全部摘出しなければならなくなるでしょう」と医師に言われ、目の前が真っ暗になりました。
父と母が、地元で生長の家の講師をしていましたので、そのご縁で、ある地方講師を訪ね、わらにもすがる気持ちで個人指導をしてもらいました。
そして指導していただい通り、早朝行事に参加し、毎日、先祖供養を行い、店の従業員全員を練成会に送り出しました。
しかし、やるべきことはすべてやったつもりだったのですが、娘の病気はどんどん悪くなりまして、医者から「大腸を摘出をする」と宣告されました。
その時に、「何が悪かったのだろう?」「やり方が間違っていたのだろうか?」と思い、いろいろ聖典を読み返してみたのですが、分かりませんでした。そして、娘と二人で病室で泣き、怖くて怖くて仕方がなかった時に、手にとったのが聖経『続々甘露の法雨』でした。そして、次のように書いてあるところにぶつかった時に、ハッとしたんです。
かくの如きときには、
ただ神に委ねよ
全き愛なる神に信頼して、
「神よ」と呼ぶべし。
神は常に汝に調和と平和とを与え給うべし。
神の中に汝の「心」を投げ入れよ。
「神よ、神よ」と称えつつ
汝の全存在を神にまで委せ切るべし。
「ああそうだった!」と思いました。「自分が治してやろうと一所懸命、"我"で頑張っていたんだ」と反省し、「全部神様に任せよう。神様の子供だから、神様にお返ししよう」という気持ちになりました。そしたら、スーッと不安が取れまして、次の日が手術だというのに、隣の病室の人と冗談ばかり言えるほど明るくなれたんです。
子供は、副作用のきつい薬を、かなり飲んでいましたので、「術後の縫合の際、豆腐に針を通すようなものですから、きれいに縫合できないかも知れない。そうなると腹膜炎を起こして致命的なことになってしまうこともあり得るから、覚悟しておいてください」と医者から言われましたが、私は、全部を神様に任せていますから、何か周りのものすべてがありがたくてありがたくて、病室までもありがたく感じられました。
すると、手術の後、縫合の跡は一週間できれいになりまして、一カ月で退院することができました。(拍手)
そのときに学んだことは、「感謝すること、心を明るくすること、神様に全託すること」です。
それからしばらくして、3男が中学2年の時、学校で"非行少年"と呼ばれる生徒になりました。授業中、グループで教室をウロウロし、皆の邪魔ばかりして、授業をめちゃくちゃにするのです。
煙草は吸うし、髪は染めるし、警察からも呼ばれ、警察には何遍行ったか分かりません。警察の方から、「反省していますから、くれぐれも息子さんに危害を与えないように」と言われ、「はい、分かりました」と言って帰ってきながら、息子をボコボコにしたこともありました。
学校からもだいぶ苦情が来ました。私も学校が大嫌いだったので、学校の行事には参加しない保護者でしたが、自分の息子が迷惑をかけているということが恥ずかしく、苦情が来たときは、学校に飛んでいきました。
先生と一対一で話をすると、それまで抱いていた、学校の先生に対するイメージとは違っていたのです。真剣に子供のことを考えてくれ、心配してくれ、進路のことも考えてくれていて、本当に泣きながら、「お父さん、どうしたらいいのでしょうか?」と、親のように心配してくれていたのです。
私は、「悪かった、申し訳なかった」と思い、「先生、携帯の電話番号を教えます。子供に何かあったら、飛んできますから、電話してください」と話し、学校と密に連絡を取るようにしました。
そして、娘の病のことで、娘の将来を心配し、不安で夜も眠れなかったことを思い出し、不良グループの親御さんたちも、心配で心配で夜も寝れず、泣き明かしているのではないだろうか、ということが頭をよぎりました。
そこで、自分の息子のことはそっちのけで、「非行児を持つ父兄の会」を作り、お父さん方、お母さん方に集まってもらって、「今後どういうふうに育てていけばいいのか」「どういうふうに子供を観ていったらいいのか」ということについて話し合いました。
すると、最初は暗い顔で不満ばかり言っていたお母さん方も、だんだん子供の美点を言うようになり、それを家庭でも話すようになると、それぞれの家庭の中がだんだん明るくなっていったのです。
中学校三年の時には、息子たちの非行グループに入っている生徒の氏名はブラックリストに載り、県下に知れ渡っていて、どんな私立高校にも入れてくれないような状態でしたが、不思議に息子の友達は高校に進学できましたし、就職を希望する子は就職もできました。
息子はリーダー格でしたから、「高校受験は絶対だめだ」と学校から言われていたのですが、受験しました。家内と二人で合格発表を見に行き、心臓をバクバクさせながら受験番号を探しました。息子は74番でしたが、71番があって、72番がなくて、73番もなかったんです。そして次を見たら74番が。 「えっ! 74番があった」と大喜びで家内と帰ったのですが、私はもう一遍見直そうと、再び見に行きました。
そしたら、やはり74番はあったんです。「あった!」とガッツポーズをして、振り返った時に、息子の担任の先生が後ろから心配そうに見ていたのです。
「どうでした?」と聞かれたので、「ありました!」と答えました。
私はいつも先生に、「今の息子の姿は"本当の姿"ではないから、"本当の姿"が出るまで、先生もうちょっと待ってください」と言っていたものですから、先生は、「 陽平君の"本当の姿"が出たのですね! お父さんが言った"本当の姿"が出たのですね!」と涙を流し、私の手を握りしめて喜んでくださいました。
そんな体験をしたことから、私は「子供の教育」に関心を持ち始めました。そして、あることがきっかけで松山市で生命学園を開いている四方英雄先生(61)に私の思いが伝わり、「伊藤さん、生命学園をやりましょう!」と言われ、今年の 5月25日に、生命学園を開園することができました。(拍手)
小学生が19人、乳幼児が23人で合計42人を擁する大きな生命学園ですが、「子供は、お腹にいる時から教育したら良い」と谷口雅春先生が書いておられますので、妊婦の方にも入園してもらっています。
生長の家をまったく知らないお父さん方も、「ぜひ手伝わせてください」と、どんどんスタッフになってくれるので、そのお父さん方を、今度始める父親教室にお誘いしようと思っています。(拍手)
お父さんの皆さん! 家庭に問題が起こったときは、親父の出番です。勇気を奮って、裸で問題にぶつかっていった時に、必ず素晴らしい、新たな家庭の形ができあがってくると思います。自分のいろんな経験を通して、本当にそう実感します。ありがとうございます。(拍手)
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