)が、突然、学校を休みがちになり、夏休みが終わるとまったく学校に行かなくなりました。
娘が苦しんでいるのが分かった私は、何くれとなく声をかけたりしましたが、もともとあまり子供と話していなかったため、それ以上どうすればいいのか分かりませんでした。
そんなある日、娘のことを心配した妻から、普段とは違う強い口調で、「磨理子ときちんと話してください」と言われ、私は娘に、自分が20歳ぐらいの時に社会に出て、苦しんだり、涙を流したりした体験を話しました。そして「磨理ちゃんだけが苦しい体験をしているのではないんだよ」「磨理ちゃんがいてくれるだけで、お父さんはうれしいよ」などと、娘の心の中に飛び込むような気持ちで話しかけました。
そんなことを、会社から帰ってから毎日続け、妻は仏壇の前で、聖経『甘露の法雨』を読誦し続けました。
すると、不登校が始まってから2カ月後の11月、担任の教師が訪ねてきて、「これからちゃんと出席すれば、ぎりぎりで卒業できるから」と娘を励ましてくださいました。
娘はそれがきっかけで登校するようになり、その姿を見て私は「磨理子がなんとか自分の力で歩けるようになった」と、ひと安心しました。
翌年3月、無事、高校を卒業した娘は、栄養士の資格を取得できる専門学校に入学しました。
ところが、6月の定期試験を前に、再び不登校になったのです。「退学したい」と苦しむ娘を見て、「今度はそうとう深刻だ」と思った私は、娘との会話を続けながら、心の中で、「磨理子は神の子で素晴らしいんだ」と、毎日、唱え続けました。が、娘の状態は変わらず、「あんなに苦しんでいるのだから好きにさせよう」と、間もなく娘を退学させました。
そんな娘に転機が訪れたのは、同年12月、生長の家宇治別格本山(京都府宇治市)で開かれた一般練成会に参加したことがきっかけでした。
私や妻の「練成会で何かをつかんでほしい」という願いを受け入れ、一人で練成会に参加した娘は、ほかの参加者の体験談を聞くうちに、「自分の抱えていた劣等感や引け目など小さいものだ」と思えるようになり、心の縛りを解き放つことができたそうです。
また、講話を聞くうちに、「自分は神の子で、現象はどんな姿でも実相は円満完全である」と素直に心から思うことができ、「今までは苦しさのあまり自分のことしか見えず、親の気持ちを少しも考えていなかった」と反省したといいます。
練成会後、見違えるように元気になった娘は、引き続き研修生として道場に残り、やがて奉仕員となり、12年5月から同本山の職員として練成部で受付の仕事をしています。
今は離ればなれの生活ですが、お互いに電話をかけ合って、以前よりもさまざまな話ができるようになり、うれしく思っています。
娘の問題を通して、親子の会話の大切さなどに気づかされ、私自身も変わることができたと思います。