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プロフィール
役職など:教区連合会会長、龍宮相愛会会長、地方講師
家族:実母、妻、一男二女
趣味:海釣り
宮井さんの紹介ビデオ(2分)   756K |  56K
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生長の家相愛会・栄える会合同全国大会(平成14年5月2日、日本武道館)で発表された体験談です。夫として、父親として、家庭で如何に生きるか、宮井さんの体験談に学んでみましょう。

 皆さん、ありがとうございます。(拍手)
 本日は、私が家族に生長の家をどのように伝えたかということを、お話しさせていただきます。
 私が生長の家に触れたのは十年前です。商売を始めた当時、お世話になった松井さんという女性から勧められたのがきっかけです。松井さんは、非常に上手に生長の家にお誘いくださるのです。
「宮井さん、あなたはヤオハンの和田一夫さんに似てる」と言われ、その言葉がうれしくて、いつしか栄える会に入会しておりました。
 その後、勧められるままに講習会や講演会に参加し、神想観や聖経読誦を始めました。そうすると生長の家の素晴らしさが本当に自覚でき、「この教えは人生の大きな指針になる」と確信、「家族や社員にも教えを伝えたい」と思うようになりました。
 私は、そのころ非常にワンマンで、私の言葉は絶対で、家族も社員もすべて私の言う通りに従わせていました。そんな私が突然、神想観や聖経読誦を始めたのですから、周りの者は「今度は何をやらされるのだろう」と警戒したのでしょう、非常に冷たい視線を感じておりました。

 平成八年、私は『生長の家』創刊号に出合いました。それを読んで私の生長の家に対する考えは一変いたしました。創刊号の冒頭には、生長の家を始められた谷口雅春先生の、本当に大きな愛の心から発したご文章が書かれており、私はその烈々たるご決意に心から感動いたしました。
 先生は、「自分の身体が燃え尽くすまで、蝋燭のようにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する」と宣言されたそのお言葉の通りに生活され、特に昭和三十八年の海外ご巡錫の時には、血尿を出されながらも、なおご巡錫を続けられことを知り、感激しました。
 あの大聖師にして、輝子先生に「母さん、僕はもうあかん。ブラジルへ行かないで日本へ帰ろうか」という言葉を発せられるほどお体を酷使され、人類救済のためにお尽くしいただいたことを知り、自分の生長の家に対する姿勢がいかに甘かったかを反省し、「この教えのお役に立ちたい!」と心から思うようになりました。(拍手)

 そんな折、突然、相愛会教区連合会長という使命を頂きました。あまりの大役にたじろぎましたが、その一方で「お役に立てる」という喜びで心が震えました。
 家族会議を開き、「生長の家のお役に立ちたいので、みんな協力してほしい」と頼みましたら、家族の者は「お父さんがやりたいのなら賛成です」と言ってくれたので、お役を受けさせていただきました。(拍手)
 教区連合会長を拝命したことは、私の大きな誇りとなり、以後の生活が本当に充実したものとなりました。
「生長の家をお伝えするには、まず自分の家が・生長の家・にならなければいけない」と思い、妻を拝むことから始めました。
 これを続けておりますと妻の態度がだんだん変わって協力的になり、私が生長の家の用事で出かけるときには心から喜んで出かけられるようになりました。(拍手)
 そしてある朝、神想観を終わって振り返ると、そこに妻が座っていたのです(拍手)。本当にうれしかったです。「愛は表現しなければいけない」と教えられていますが、私は妻に対して「愛してる」という言葉を一回も言ったことがなかったのです。
 私はこの時とばかり、勇気を奮い起こし妻を抱き寄せまして、必死の思いで「愛してるよ」と言ったんです(拍手)。体中がカッと熱くなり、全身から汗が噴き出しましたが、この言葉で彼女は目に涙をいっぱいため、泣いていました。その姿を見てうれしくて、それから毎日「愛してるよ」を連発しております。(笑い、拍手)
また、「日本に生を受けた素晴らしさを子供たちに伝えたい」と思い、屋上にポールを立て、国旗の掲揚を始めました。家族は初め、「お父さんやめて」と反対しておりましたが、やがて妻が国旗掲揚に参加してくれるようになり、私の帰りが遅いときには、息子が国旗を取り入れてくれるようになりました。(拍手)

 さらに、「多くの人に生長の家を知ってもらいたい」と思い、生長の家の看板を立てようと思いました。ちょうど会社の看板用の鉄骨をすでに組み立ててありましたが、長く放っていたため、その隣にほかの会社の看板が立っていて、私が看板を立てるとその会社の看板が隠れてしまうのですが、「こちらが先に鉄骨を立てていたんだから」と、私はその鉄骨に生長の家の大きな看板を立てました。
 会社からも真理の言葉がよく見え、本当にうれしく思っておりました。ところが、五者会議の時に、当時の教化部長先生から「あなた、あの看板はほかの会社の看板を殺してしまっているじゃないですか」と言われたのです。
 非常に落胆して家に帰り、妻に、「今日、こんなことを言われた」と話しますと、しばらく考えておりました妻は、「お父さん、いい指導をしていただけましたね」と言ってくれたんです(拍手)。この一言で私の心はすっきりし、翌日、早速、その会社の看板に邪魔にならないようよう、新しい場所に看板工事を発注し、素晴らしい看板ができたのです。そして、その看板の真理の言葉を見て、二人の方が会社に飛び込んできて聖使命会員になられ、今では相愛会員になっていただいております。(拍手)

 子供たちも、だんだんみ教えに理解を示すようになり、昨年の十一月に娘二人が生長の家宇治別格本山(京都府宇治市)で十日間の練成を受けました。帰ってきた娘は、それまでとすっかり変わり、以後、家族で早朝行事をするようになりました(拍手)。長女は地元で青少年練成会のお手伝いをさせていただき、次女は今年の二月から生長の家本部に奉職しております。
 気が付いてみますと、自分の家がすっかり生長の家の家族になっておりました。素晴らしい生長の家が全世界に広がり、大調和の世紀が実現していることを心に描きながら、これからも尊い使命に喜びいっぱいで邁進させていただきます。(拍手)

※この体験談は、相愛会の機関誌『生長の家相愛会』平成14年8月号に収録されています。ホームページ掲載にあたりタイトルのみ変更しました。

お嬢様に直撃インタビュー!

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