
生長の家参議長 三浦晃太郎

生長の家繁栄特別ゼミナールに大勢ご参加くださいましてありがとうございます。心から感謝申し上げます。(拍手)
今日は新しい方が大勢いらっしゃると伺いました。中には「生長の家ってなんだろう?」「栄える会って何だろう?」と思っておられる方がいらっしゃると思います。
皆さんのお手元の資料袋の中に、生長の家栄える会の案内パンフレットが入っていますが、この中に「富とは何か」について書かれていますので読んでみます。
大体(だいたい)「富(とみ)」というものはたんに物質(ぶっしつ)の分量(ぶんりょう)が多(おお)いということではないのであります。「富(と)む」というのは「人のためになる働(はたら)きをする何(なに)か」が多(おお)いということであります。人のためになる働きをするのが「愛(あい)」であって、愛(あい)を実践(じっせん)すればそれが「富(とみ)」に変(か)わるのであります。
(『生命の實相』第8巻124頁)
生長の家の信徒の方はこの文章の意味をすぐ理解されると思いますが、今日初めて来られた方の中には、富といえばお金とか物の分量が多いというふうに受けとめられていると思います。もちろんお金も物も富ですけれど、「人のためになる働きをする何か」が多いということが富であるというのは、一体どういう意味なのでしょうか。
『人のためになる働きをするのが「愛」であって、愛を実践すればそれが「富に」変わるのであります。』と書かれています。
愛の本質は自他一体の自覚、すなわち自分と自分以外の人やものとは本来一つであるという意味ですが、物質的なものばかり求めないで、人のためになる働きを喜んでしていると自然に心が豊になります。
心の豊かさというものは減ったり無くなったりしませんから、これが本当の富ということです。愛を実践して心が豊かになれば、物質的な富も自然に集まってくるということになります。
人生において現実に物質的に富む前に、まず心が富まなければならないことが強調されていると思います。
初めて来られた方のために、簡単に生長の家の概要についてお話します。
生長の家の運動は昭和5年に始まりました。1930年ですから今年で78年になります。
生長の家の創始者は谷口雅春先生です。明治26年にお生まれになられ、昭和60年に91歳でお亡くなりになられました。生長の家のことはよく知らなくても、『生命の實相』という本の名前を知っている人は結構おられると思います。
生長の家は現在、世界29の国、地域に拠点をもって運動しています。生長の家は立教してまだ78年ですから、キリスト教や仏教からすれば、草創期ということになります。
ではこの78年間、生長の家は何をしてきたかといえば、“人間は神の子である”ということを世界中の人々に伝えてきたのです。
世界中のすべての人々がこの自覚に立てば、地球上のあらゆる難問題は悉く解決することになります。
“人間は神の子である”ということを生長の家では「実相」という言葉で説明しています。
一般社会ではあまり馴染みのない言葉だと思いますが、人間の実相、すなわち人間の本当の姿はみんな神の子であって永遠生き通しの素晴らしい存在であるということです。
人間が神の子であるということは、犬の子が犬であるように、神の子は神ですから、人間の本質・本性は、神性、仏性そのものであるということです。
「実相」のことを霊性とか、生命とか、たましいとも言いますが、日本語は言葉が豊富ですから、いろいろな言葉で説明しています。要するに人間は神の子であって、無限の生命そのものであるということを伝えてきたのです。
吾々は親から与えられた肉体を使って毎日生活していますが、この肉体のことを「現象」といいます。
「人間とは何か」について説明するときには、「実相」と「現象」を区別して話しますと大変よく理解できます。
世の中には「人間は肉体がすべてだ、死んだら終わりだ」という信仰をもっている人がいます。肉体が生きている間だけが人生で死んでからのことは知らないという生き方ですね。
肉体には寿命があって必ずこの世と別れる日がきます。どんな立派な人でも哲学者や科学者でもこの定めから逃れることはできません。肉体は永遠生き通しではなく必ず滅します。
自分のことは何でもわかっているようなことを言う人がいますが、実は何もわかっていないことの方が多いのです。特に自分の生き死のことはわからないです。いつまで生きるのか。いつ死ぬのか誰もわかっていないでしょう。死ぬことが分かっている人は自殺を考えている人ぐらいです。
人間は自分で自由に生きていると思うかも知れないが、空気を与えられ、水や火を与えられて生きているのです。神様という言葉が嫌なら大いなる力でもいいです。人間は生かされていると思いませんか。
人間は死んだらそれですべてが終わるというなら、何のために毎日一所懸命働いているのか。どうせ死んで何もかもなくなるというなら、日々、何のために努力し頑張っているのかわからないではありませんか。
生長の家では、肉体は実は自分の「実相」なるたましいを磨く道具だと説いています。肉体生命のことを「現象」という言葉で説明します。自分自身の本質とか本性とか、まあどちらでもいいですが、自分のことをどのように思っているのかはとても大切なことなんです。
永遠生き通しの素晴らしい神の子が自分と思っているのか。それともやがて死滅する肉体人間が自分の本質だと思っているのか、これは重大なことです。今、私が皆さんに「人間は神の子ですよ、永遠生き通しの素晴らしい存在ですよ」と言っても、「冗談じゃない、生きているうちが華だよ、死んだら何もかも終わりだよ」と否定する人もいらっしゃるでしょう。いずれの道を選択するかは皆さんの自由ですが、どの道を選ぶかによって、人生の進むべき方向が決まってしまうと思うのです。右に行くか左に行くか、はっきり決まっていない人は、人生の大きな岐路に立っていると思うのです。肉体の欲望に翻弄されないで、永遠生き通しの生命の自覚で不滅の道を歩まれることを心からおすすめいたします。
今日はテキストに新版『生活と人間の再建』の119頁に次のような文章が書かれてあります。
(前略)吾々(われわれ)は、如何(いか)にして自己が「肉体」ではなく、「生命」であるということを悟ることができるであろうか。吾々が何処より来たれるものであるか、その出所が不明である時には、その出所(しゅっしょ)を探る為には、今現れている所の現象を(即(すなわ)ち生命現象を)充分分析し検討し観察してみることによって、その生(しょう)じ来たれる所の原因者に遡(さかのぼ)るほかはないのである。そして人間はどうして生まれるか、どうして心臓は脈搏(う)つか、人間が設計しないのにどうして人間の複雑なる生理組織が造られたのであろうか??こういうことを深く検討してみた結果、人間の「生命」は、不思議なる宇宙の大智慧(だいちえ)によって造られたものであるという結論に到達するのである。そしてこの「宇宙の大智慧」は不可思議(ふかしぎ)なものであるが故(ゆえ)に、何とも名前のつけ様がないから、これを称して「神」又は「仏」と称するのであり、人間はそれより生みだされたものであるが故に、これを名づけて、「神の子」又は「仏の子」と仮(かり)に称するのである。
そこで名前は何とつけてもいいが、吾々は神より出(い)でたるものであるが故に、吾々の生命は神なのである。従って「人間を信ずる」ということは「神を信ずる」ということにならざるを得ないのである。「神を信じない」ものが「人間を信じる」ということは不可能の事である。又「神を愛しない」者が「人間を愛する」ということも不可能であり、「人間を愛しない」ものが「神を愛する」ということも不可能なのである。(後略)
ちょっと読んだだけでは、にわかにはわからないと思いますが…。現代は科学万能の時代ですが、吾々は五官の目に見えざるものといいますか、肉体の目に見えるものに価値を見出していると思います。それが目に見える物質的なものを少しでも多く得ようとする奪い合いの生き方になって、争いが絶えないと思うのです。実は人間は目に見えないものによって生かされているわけです。心だってそうだし、生命だって、空気だって、紫外線やX線だって、目に見えないものばかりに囲まれて人間は生きています。
しかし現実に吾々は肉体を使って生きていますと、肉体というのは、これは欲望の塊ですからね。人間は肉体がすべてで死んだら終わりということになると、一体どんな生き方になるのでしょうか?
誰でも肉体がもっている欲望を少しでも満たそうとする生き方になります。とにかく死んだら人生は終わりですから、肉体は有限で先が見えていますから、生きている間に肉体が欲する欲望を拡大しようという生き方になるのは当然です。食欲にせよ、睡眠欲にせよ、性欲にせよ、出世欲にせよ、肉体の欲望には際限がないです。いつ突然に肉体の死がやってくるかも知れませんから、心の豊かさを求めることなどはどこかに吹っ飛んでしまいます。本当にじっとしておられない忙しい生き方になります。
人間だれでも母の胎内から生まれました。お父さんがいます。そのお父さんには、お父さんとお母さんがいて、そのお父さんとお母さんには、またお父さんとお母さんがいます。こうしてずっと溯っていくと大変な数の人たちの命をいただいて、今自分がここに生きているということがわかります。三十代も溯ると十億人以上のご先祖様がおられることになります。そのことがわかったら、両親と自分との関係や、ご先祖様との繋がり、日本人と世界中の人たち、人間と人間以外のあらゆる生物との関係など、人間神の子を自覚することによって、人間として生きて行くうえで最も肝心なことがわかってくるではありませんか。
生長の家では、人間の実相は神の子であり、肉体は実は神の子としての自分の実相なる魂を磨くための大切な道具であると説いています。肉体そのものは変化常無き存在ですから、毎日どんどん変わるのです。一定のところに留まることはないのです。
“肉体は心の影”ですから、この人生において日々体験することは、心の持ち方次第でどのようにも作りかえることができるわけです。心に思うことが形にあらわれる世界が肉体人生なのです。日常生活でどんな不都合なことに遭遇しても、それは自己の実相なるたましいを磨く絶好の機会として受けとめることができれば、事態は必ず好転します。要するに肉体人生は心次第ですから、常に神の子の自覚を深めて、前向きに生きて行く訓練をすることが大切です。
とにかく肉体人生は心次第です。自分の心の中にある思いがそのままあらわれる世界に生きています。
生長の家は実相論を説いています。実相のみ、神のみが実在するという唯神実相論です。肉体人生にあってどのようなことに出遭っても、常に自己の実相なるたましいを磨く機会として明るく受けとめる心があれば、如意自在の人生を送ることができます。
肉体をもって生きるこの世界は、自他一体の神のみの世界です。心次第でわれわれの人生舞台はどうにでも作り替えられるということです。
“自他一体”という言葉は、自分と他の人やものとは一つという教えですが、自分と生きとし生けるものは本来一体ということです。心の中にその思いを強く把持することによって、すべての人と物と事と調和した素晴らしい世界が実現することになります。
今日、生長の家は地球環境保全の活動に取り組んでいます。この運動は実は“自他一体の真理の実践”なんです。
われわれが生きている今という時代はどういう時代ですか?多くの人が今のままでは地球は大変な事態を迎えるという共通の心というか意識をもっているのではないでしょうか。地球温暖化を止めなければならないとみんなが必死に努力しているではありませんか。肉体はそれぞれ別々だけれども心は繋がっている証拠だと思います。
生長の家の運動がはじまった78年前はどういう時代でしたでしょうか?
携帯電話も新幹線もありませんでした。テレビもないし洗濯機や掃除機もない時代の人は、その環境の中で精いっぱい生きてきたわけです。吾々が生きている環境は常に変化していくのです。
昭和20年に日本が戦争に負けたとき日本人が自信をなくして元気がないと思われた谷口雅春先生は、日本は素晴らしい国だということをおっしゃって日本人を励まされた。
あれから60年余過ぎた今日、地球は温暖化が一層加速して危機的な状況に置かれています。世界各国が地球環境の保全に取り組んでおります。このような時代に吾々は生きているのです。地球温暖化防止への取り組みは国連で取り上げる大きなテーマになってきています。
現象世界は常に変化しています。時代状況は変わるのです。人間神の子の真理は永遠不滅ですが、肉体をもって生きる現象世界は常に変化していくのです。
真理を説く環境は常に変わるのです。生長の家立教のころ、地球温暖化はなかったですね。今の時代に即した真理の説法が大切なのです。
“人間は神の子である”ということを知り、それを多くの人々に伝えることが、今一番大切なことだと思います。
(次号へつづく)