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繁栄ストーリー

神の御心に適う正しい宗教・人生観を経営に!

生長の家福岡教区栄える会会頭
  (株)はせがわ代表取締役会長  長谷川裕一

長谷川裕一

ありがとうございます。今日は沢山の方にお集まり頂き、恐縮致しております。本日は息子と8名の社員も参加させて頂いております。このようなご縁を頂きました事を心から感謝申し上げます(拍手)。

日本ニュービジネス協議会の会長に
選出されて

私は、この4月に社長を弟に譲り、会長に就任致しました。そして6月の日本ニュービジネス協議会の総会におきまして、会長に選出されました(拍手)。勿論、考えてもいない事でございましたので、大変驚きました。現在、経済産業省には4つの経済団体が指定されていまして、日本経済団体連合会、日本商工会議所、経済同友会、そして日本ニュービジネス協議会です。

経団連は皆様ご存知のキャノンの御手洗会長ですね。よくニュースにも出ておられます。経済同友会は、リコーの会長である桜井さんが代表幹事を務めておられます。

日本ニュービジネス協議会は、NECの関本さんやアサヒビールを再建された樋口さん、CSKの大川さんやユニ・チャームの高原さん、それからカラオケで有名なシダックスの志太さんなど、そうそうたるメンバーです。前の会長は、シダックスの志太さんですが、その方が私を次期会長にと指名されました。

シダックスという会社は、大企業や大学、病院などの食堂を一手に引き受けており、それが本業なのです。年商2千億円を超える大企業ですし、ご婦人方はよくご存知のユニ・チャームも、年商3千億円以上の大企業です。私はといえば、九州のニュービジネス協議会の万年副会長で、会長は、九州電力の会長さんが務めて来られました。ところがいつの間にか私も日本ニュービジネス協議会の副会長になっておりまして、組織を担当しておりました。勿論、そんな私が選ばれる事には異論もございました。私自身も不思議で、「何かの間違いではありませんか?」とお尋ねしました。ところが志太前会長は、「間違いではありません。それには3つの理由があって選んだ」とおっしゃいました。

その1つは、まず国家観がしっかりしている。全国の組織を束ねていくには、国家観がしっかりしている事が基本であること。

第2に私心がない。これも会長として重要な資質であること。

第3に、お仏壇やお墓という大変古い歴史を持つ伝統文化に携わる仕事を通して、日本の文化に貢献していること(拍手)。私の仕事はオールドビジネスなのです。それが何故ニュービジネスなのか?皆様はお解りと思いますが、お仏壇やお墓を製造、販売して株式を公開した所などありません。まさにニュービジネスなのです。

それで大変お忙しい中を志太前会長は、九州地区の会長である九州電力の会長松尾さんをわざわざ訪ねてくださって、「長谷川が会長になるのでご協力をお願いします」と、挨拶をしてくださいました。それで九州電力の方々も大変喜んでくださいました。新聞で発表になったものですから、帰りましたら、机の上にお祝いが色々と置いてあってびっくりした次第です。志太前会長は私のために全国の地区会長の所を巡って協力を呼び掛けてくださり、大変感謝しております。

父母の愛に包まれて育つ

今回、このような名誉に浴したのも、ご先祖様と父母の教育のお蔭であると、改めてご先祖様と両親に感謝しております。私の母は奄美大島の出身ですが、誰一人知人もいない福岡の炭鉱町、直方にある長谷川家に嫁いで参りました。(株)はせがわは、父が昭和4年に創業したお仏壇屋でして、母はそこで生長の家のみ教えにふれ、私を身ごもりました時に、信徒の方から観世音菩薩をお参りするように勧められまして、狩野芳崖の悲母観音の模写ですが、お軸を掛けて、毎日拝んでくれていたそうです。そうして生まれたのが私なのです(拍手)。そして、小さい頃の記憶ですが、申し訳ない事ですが、おトイレには床の間を設けて、そこにはいつも『白鳩』誌が置いてありました。そのようにして自然と生長の家のみ教えに触れました。

父は、私が生まれてからもしばらくは結核を患っていたので、私は抱いて貰えなかったそうですが、治りましてからは応召し、シンガポールやインドネシアに出征しました。敗戦後日本に戻って来てからも曲がった事が大嫌いな父でしたので、闇買いは認めませんでした。このために母は大変苦労したことと思います。公を大切にして何事も信用第一の姿勢を崩しませんでした。それは私の身体にも染み込んでおります。両親とも体が弱くて寝込む事もございました。ですから私は朝ご飯を薪で炊いて、お味噌汁を作るのを日課にしておりました。両親は躾には厳しかったのですが、生長の家の教育法で褒める教育で育ててくれましたので、私は遂に反抗期を知らずに(笑)、成長しました。中学を卒業したら直ちに店を継ぐつもりでおりましたところ、両親に強く進学を勧められて、家から歩いて10分ほどの実業高校に進学しました。

他のお仏壇屋さんでは、なかなか跡を継ぐ子がいないと聞きますが、それは、「葬式が出ると儲かるやろ」などとからかわれて、嫌な商売だなと思う人もいたからでしょう。けれども父は、「お仏壇を販売するという仕事は、世の中で最も尊い仕事である」という強い信念の持ち主でした。私も幼い時からそのように教育されて、仕事に相応しい人になりなさいと言われて育ちましたので、誇りを持って跡を継ぎました。先日も小学校の同級生から、「君は小学生の時から、今に日本一のお仏壇屋になると言っていたよ」と言われたほど、その志は強かったのだと思います。

生徒会長に選ばれ、荒れた高校を立ち直らせる

高校に入ってみると、そこは筑豊一の荒れた高校でした。番長達はみんなドスとチェーンを持ち、年間15人くらいの退学者が出ておりました。ところが彼らから、「生徒会長になって、長髪を勝ち取ってくれ」と、強く頼まれ、断り切れずに立候補して選ばれてしまいました(笑)。筑豊高校は、地域で唯一の丸坊主が義務とされた高校でした。それは長髪にして罪を犯すと就職に差し障るという学校側の考えからでした。さらに校舎は老朽化してシロアリが喰い、取り壊して建て替える事になっていたので皆土足で教室に上がっていたのでした。そこで私は訴えました。「この校舎から、何千人という先輩が巣立ち、社会に出て立派に働いている。我々の手でピカピカに清めてお別れしよう」と。一番問題の多い2年生を武道場に集めて、掃除を徹底する事にしました。初めは7、8名しか集まりませんでしたが、お仏壇を梱包していた藁をタワシ代わりにして粉石鹸を使って窓を窓枠ごと外して洗い清め、ピカピカにしました。きれいになった窓ガラスをのぞいて「ワー、見えるぞ!」といったのが彼らの第一声でした(笑)。そこから始めまして、だんだん綺麗になって行きました。ある番長に、「俺には注意するけど、強い番長には言えないだろう」と言われて悔しくて涙がこぼれ、思い切って一番強い番長に靴を脱ぐよう声を掛けました。彼も初めて命令されて驚いたようです。私の殺気に押されて(笑)、ニコッと笑って、雑巾を手に取り、掃除に加わりました(拍手)。糠雑巾を使って至る所をピカピカにし、見違えるようになりました。その勢いで運動会も見事に成功し、壇上の校長先生は感激して声も出ませんでした(笑)。しかも、その年は退学者が1人も出ませんでした(拍手)。卒業式には代表で答辞を読んで卒業しました。その後、これから家の跡を継ごうと思っていた矢先に父に京都の龍谷大学への進学を勧められ、進学して、昭和38年に家に帰りました。

地域に貢献する事を心に誓い、達成する

当時の店は9坪の広さしかなく、掃除のおばさんと店員さんと職人さんの4名で、他に契約の職人さんが2人いるだけでした。ところがこの年の秋、大牟田にある三井三池炭鉱でガス爆発事故が起き、450名以上の犠牲者が出たのです。事故の3日後に私は三井三池鉱業所の事務所を訪れて労務課長にお会いし、ご遺族の方々にお仏壇を納めさせて頂きたいと申し出ました。勿論最初は人の不幸を商売にするのかと誤解されて拒否されましたが、私は心を込めて日頃の信念を述べました。ご遺族の心の拠り所は一家の大黒柱であった亡き人々をお祀りするお仏壇ではないでしょうかと。課長も理解されて名簿を渡してくださり、私は1軒1軒訪問してお仏壇を納めさせて頂きました。

私の住む直方の町も、石炭から石油へとエネルギー革命が起きて、10万人以上の人が職を失い、涙ながらに故郷を離れて行く姿をずっと見てきました。当然商店街も灯が消えたようになって行きました。そんな中に、私は、直方をお仏壇の産地にしたい。職を失った方々にお仏壇を造って頂き、金色燦然と輝くような、豊かな町にしたいと考えました。炭鉱の町からお仏壇の産地へと、私は心掛けながら、この地域に10億円のお給料が払えるようになったら、地域に貢献出来るのではと夢をもってやってきました。やり遂げました(拍手)。有難うございます。

東京芸術大学より「お仏壇のはせがわ賞」の創設を依頼される

「株式会社 はせがわ」は、父が創業して来年で80年を迎えます。皆様方のお蔭でここまで繁栄して来る事が出来ました。心より御礼申し上げます。有難うございます(拍手)。現在、「はせがわ」は、京都の西本願寺様、知恩院様、清水寺様など、京都の重要文化財の約8割を、私共の会社で修復させて頂いております(拍手)。ご存知のように、お仏壇は、日本の美術の原点です。漆、金箔、彫刻など、千年前の技術を受け継いで、現代に蘇らせております。銀座1丁目にあります私共の店の6階にはミュージアムがありますが、外国の方々が、「ここに来ると、日本に来た!という感じがして、素晴らしい」と讃嘆してくれます。日本の美が堪能出来る。その意味で世界一のミュージアムだと言われています。

しかも、世界遺産などの重要な修復は、直方の職人さん達が行ってくれているのです。考えられない事だと思います。福岡の人達は信じません。むしろ京都の人の方が良く知っています。何故京都でなくて福岡に修復を頼むのだろうかと思われますでしょう?国宝文化財を修復する組合があって、昨日も京都でも1、2を競うお仏壇屋さんのご主人が福岡の本社に訪ねて来られまして、私共も仲間に入れてくださいと頼まれました。

例えば、西本願寺様の親鸞聖人様の御影堂は、今から380年も前に建てられたものですが、幅60メートルの大きな建物は、木目の美しさでは世界一の木造建築物です。建物内部の修復は元より、中にあります親鸞聖人のお厨子は、素晴らしい美術工芸品であり、国宝級の文化財なのです。しかし、信仰の対象として重要文化財から外されていますから、移動することが可能なのです。それで福岡の私共の工場に運び、只今修復中なのです。そのように、「はせがわ」の技術力は広く社会に認められております。

東京芸術大学より、“長谷川さん、奨学のために、賞を出して頂けませんか”と、依頼がありました。しかも、「お仏壇の」と付けてくださいと。「お仏壇のはせがわ賞」となるわけです。これは東京芸術大学大学院美術研究科の文化財保存学専攻を修了される方が、修了作品を制作すんですね。その最優秀作品に与えられるのが、「お仏壇のはせがわ賞」なのです。何故「お仏壇の」と付けるのですかと尋ねましたら、お仏壇は美術工芸の原点だとおっしゃいました。大きいのは東大寺に、古いのは法隆寺、美しいのは西本願寺にあります。そういった古文化財を修復するには、どうしても信仰心がなくては出来ません。それを学生達も痛感しています。それ故、何とか信仰の心を取り戻したいが、その切っ掛けがなかったのでした。そこで1時間半に渡って教授会で検討した結果、“はせがわさん”の「お仏壇の」という言葉をつけた賞を設けて、そこから宗教教育に入っていこうという事になったそうです(拍手)。

私の国家観を支えたもの

私は毎年、正月2日の朝一番の飛行機で福岡を発ちまして、皇居の参賀に参ります。その後、幹部社員とホテルで会食し、その日の内に伊勢神宮に参りまして、平和のお祈りをします。これが慣わしになっております。これは父から受け継いだものでございまして、当時は交通の便が良くありませんから、父はずっと家庭の中でそのようにやっておりました。私の家は950年続く、元は城主の家で、古い文献にその歴史が綴られております。親類からいつも「長谷川家は代々人様のお役に立って来た家なのだから、家名を汚さぬように」と説教されて来ましたが、谷口雅春先生の教えに導かれて、正しい国家観を身に付け、正しい人生観を生活に実践する事が出来るようになりました。その教えを経営に生かし、皆様方と共々励まし合い助け合って、良い国づくり、良い家庭づくりに励んで参りたいと思います。長時間のご静聴、有難うございました(拍手)。

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