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繁栄ストーリー

繁栄は心から-1

生長の家参議  生長の家大阪教区教化部長    妹尾  壽夫

妹尾壽夫

合掌  ありがとうございます。

本日は「生長の家栄える会繁栄特別ゼミナール」に、全国各地より大阪国際会議場にご参集くださいましたことに心より感謝と歓迎を申し上げます(拍手)。

只今から「繁栄は心から」というテーマに基づいて話をさせていただきます。

心ほど大切なものはない

「銅像は鋳型通りに造られる」という言葉があります。最初に鋳型を造って、その鋳型の通りに銅像は造られる。だからどういう銅像を造るかという事は、どういう鋳型を造るかという事に懸かっている、その鋳型が、テーマでいう心なのです(拍手)。銅像が繁栄という事になるわけです。

そうするとどういう鋳型、どういう心になればいいのか?という事になってくるわけです。

日本の有名な米所に参りますと、こういう事が言われています。

米を作る人を上中下とランク付けを行ないまして、まず下農です。

下農の人は、どういう風に言われているかと言いますと、「草を作る」と言われているのです。本来米を作るべき人が、草を作ったのではちょっと困りますね。草ばかり作っているので、米が作れないのです。

その次の、中農の人は「稲を作る」のです。これは当り前の事です。

その次の上農という農家は、「田を作る」と言われているのです。良き田を作る人にして初めて、良き稲を作ることが出来るということです。

ところが上農が一番上かと思っておりましたら、もう一つ上があるのです。それを「上々農」と言うのです。「上々農」というのはどういうことかと言うと、「心を創る」農家の人のことを言うのです。

良き心を創る人が、良き田を作る。良き田を作る人が、良き稲を作る。稲作一つ取り上げても、良き心を創らなければ、本当の稲作は出来ないのです。

これは稲作だけのことではありません、どんな生産活動でも、商行為でも、経営、経済、全て良き心があって、初めてそれをなし得るものであるという事になるのでありますから、心ほど大切なものはないというわけですね。

最近大阪で、有名な料亭が廃業に追い込まれました。どうしてああいう愚かな事をやったのでしょう。ああいう事をやればどうなるかぐらいは、3歳の童子でも解るはずです。

それを、まあ大の女が(笑)、どうしてそういう事をやるのかと考えてみると、心を創ってなかったと思うのです。いやそれどころか心そのものさえも忘れていたのでしょう。

人間は、どんなに優れた能力を持ち技能を持っていても、心一つ失う事によって、かくも無残な姿で仕事の幕を降ろさなければならなくなるのです。それほど心というものは、大切なものです。

菩薩の病は大悲をもって起こる

お釈迦さんの時代に、維摩という人がありました。

その維摩が病気になった時に、お釈迦様の命を受けて、文殊菩薩が見舞いに参りました。

すると見舞いにやって来た文殊菩薩に対して、維摩がこういう事を言うわけですね。

菩薩の病は、衆生の病む事によって起こるのだ。それで衆生の病が滅すれば、菩薩の病も滅するんだと。

そうすると維摩が言うところの、「衆生病むが故に、我病む」という、その衆生の病とはどの様な事でしょう。

これは例えば、神経痛、リュウマチ、あるいは心臓がどうの、肺臓がどうのと言う、そういう肉体のある部分が病んでいるという意味ではないのです。それは、根本無明から来ると言われているものであります。

衆生というものは、生きているということの根本を知らない。仕事は出来るかもしれない。いろいろな能力は持っているかもしれない。しかし生きている事の根本的な事を知らないのであります。人間とは何か? 生きる目的とは何か? という事を知らないのです。これを無明と呼んだわけであります。

その無明を元にして、いろんな因縁因果がまつわりついて、生老病死の苦悩が消えることがない。これを維摩が、衆生病むと言ったわけですね。

それで衆生の病は菩薩の病でもある。菩薩の病は、大悲をもって起こると、こういう風に言われているのです。

現代社会の根本無明

それで衆生の病を癒すためには、良き教えに触れなければなりません。本当に正しい宗教的真理によって、衆生の病は癒されるのです。

ところが今世間では、宗教に関わりを持つと、何か特殊な世界の出来事のように、そういう誤解と言うか、偏見というものもまだあると思うのです。

それは皆様でも会社において、「自分は生長の家ですよ」、「私は信仰を持っています」と、それを堂々と言える雰囲気が、会社内にあるかどうかという事です。これは少ないのではないかと思うのです。

それは会社だけではない。日本の一般社会全体がそういう風潮であるという事が言えるのではないかと思います。

我々人間が、人間として生きていく以上、その生命の最深最奥の、一番深い所から起こって来る要求というものが、いのちそのものの宗教的要求と言われています。私共は、肉体的、精神的、いろいろな欲望を持って、あるいは理想を持っています。そういうものは宗教的要求から分化したものであるのです。本当に真面目に生きる人間は、必ずといっていいほど宗教的要求をもつものなのです。

それ故、内部の内なる要求を解決しようと思って、宗教の門を叩くわけです。そうすると特殊な目をもって見られたり、異端視されるような、そういう迷妄に覆われている以上は、本当の世界平和も、本当の繁栄というものもなかなか困難であると思われるわけです。

ある獣医さんの話ですが、その獣医さんが病気の牛を預かった。それで牛と一緒に寝泊りをして病気を治したのです。そして健康になったから、どうぞ連れて帰ってくださいと言って持ち主に返しました。

そうしたら、その翌日にその獣医さんの所へ牛肉がどっさりと届けられました。健康にして頂いたので牛肉にしたということです。

人間だったら、健康なれば、これから幸福に、自由に、幸せに生きられるのに、その牛は健康になったために、牛肉にされてしまいました。どんなものでしょう、皆さん。そこに深いものの観方、考え方が入って来ないと、これは到底解決出来ない問題だろうと思うのです。

日時計主義を生きよう

さて、テキストの『日時計主義とは何か?』の132頁を最初拝読致します。始めから5行目でございます。

生長の家は「世の中の明るい面」「楽しい面」「素晴らしい面」に注目して、それを「コトバの力」によって褒めたたえ、引き出すことによって、すでにある「神の世界」をこの地上に現すための運動であります。昭和五年といえば中国への出兵や昭和恐慌が訪れるなど、政治的にも経済的にも大変暗い時代でありましたが、そんな時代に創始者、谷口雅春先生は「朗(ほが)らかに笑って生きよ」という言葉を掲げて生長の家を始められ、私たちは今日まで「日時計主義」の生活を大いに進めてきました。また、これからもさらに進めていきたいと思うのです。なぜなら、この「日時計主義」こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。つまり、現実的にはまだ「光明」が充分現れていなくても、現象の背後にある実相を信じて、それをコトバで認め、引き出すことで、地上に「光明」が現れる??そういう信仰と原理なくして、日時計主義は成立しないからです。

このようにお書きくださっています。この現象世界というのは、明暗こもごも、色々あります。

ここにお書き頂いておりますように、どの様な時でも明るい面、楽しい面、素晴らしい面を、しっかり観なさいと。まだそういうものが充分現れていない、目の前の状態は不完全である。そういう状況にあっても、その奥にある、神の創り給うた円満完全なるもの、永遠なるもの、調和せるもの、限りなく豊かなるもの、全てそれがあるのだということを信じて、それを言葉に宣言し、讃嘆し、あるいは文字で、『日時計日記』に書いて、そういう事を実践する事によって、真実存在の実相の世界が、現象世界に現れて来るのですよと、こういう風にご指導頂いているわけであります。

簡単に言うと、実相を認めるコトバの力というものが、いかに大きいかという事が、ここに書かれていると思います。

『生命の實相』や聖典をしっかり読めば良い

それで今日は、高橋是清という人の話をちょっと申し上げたいのです。

高橋是清は、世界史に残る経済通と言われた人で、日露戦争の時、日本の危機を救った人です。

日本が、1904年(明治37年)2月から1年半ほど大国ロシアと戦います。その当時の世界の大方は、圧倒的にロシアの勝利に終わるだろうと見ていました。日本には、戦争を行う充分な国力がない。財源もなかったのです。

そのような中、高橋是清はイギリスなどに渡って、外国の金を集めるのです。けれども戦いに負けると言われている国の債権なんて買う人はないでしょう。

ところが、なんとその当時で、13億円を調達して日本に持って帰ったのですよ(拍手)。

当時の国家の歳入は、2億6千万円です。その頃に、外国から13億円集めて来るのです(拍手)。

どうして是清はそれだけの事が出来たのか、伝記作者とか研究者が異口同音に、「それは彼の幼年時代、少年時代の体験から来るだろう」と言っています。

是清がまだ3歳の頃、仙台藩の奥方様が神社へ参詣にやって来た。参詣が終わって座っている所に、子供の是清が何も解らずその奥方様の膝に座るわけです。当時は無礼な行いがあれば、お手討ちも辞さずという時代です。

それを遠くから眺めていた父親は身も心も震え上がった。どんなお咎めがあるか判らない。是清というのは足軽の子ですから。

その時は事なきをえて我が家に帰りましたが、夕方になって使いの者が来て、是清を奥方様の屋敷まで連れて来るように伝えるわけです。

いよいよ来るものが来た。お咎めを覚悟の上で、親子は奥方様のお屋敷に参上しました。ところが、何のお咎めもなく、それどころか大いに遊ばせて、喜ばせて、褒め称えて、お土産物まで頂戴して、意気揚々と帰って来るわけです。

それを見て周りの人達は、ああ是清は幸福者だ、運の強い子供だ、そういう噂がパーッと広まったのです。いろんな人から、「是清は、運の強い子供だ、幸福者だ」と言われるのですね。幼いながらもそれが耳に残ったのでした。

5歳の時には、広い道路を横切ろうと思って走ったら、途中で転んでそこへ騎馬侍がやって来て倒れている是清の背中を馬が踏んだのですね。これはもう内臓破裂、背骨が折れて、まず助からないと、こう思って皆が集まったのです。

ところが、よく観ると、背中に僅かに馬の足跡がついていますけれどもね、本人は微傷だにしていない。それで、また是清は運の良い子供だ、幸福な子供だと、2回目の噂が広まったわけです。

そういう経験をして、自分は運が強いのだ、幸福者なのだ、どんな困難に直面しても必ず道が開けるのだ、そういう性格が幼い時に決まったと、言われているわけです。

長じて仙台藩から命じられてアメリカに留学します。すると余り英語を知らないものですから、間違った書類にサインをして奴隷に売られるのです。それを何とか脱した。その後も破産、突然の解雇、失業。もう並みの神経ならば、自殺しても足りないぐらいの事が何回あったか判りません。それにもかかわらず是清は泰然としていたわけです。どんな不幸や困難がやって来ても、前向きに堂々と努力する事が出来たのです。

これは本人の努力もありますけれども、幼い時の体験が大きいと言われています。

そうすると高橋是清は子供時代にそういう事があったからそうなれたのだ、僕の場合はそういう事はなかったし、今更子供にも戻れないし、戻ったとしてもそういう事があるとは保証の限りにあらずですから今更どうにもならんのではないかなと、こういう風に、考える人もあるでしょうが、実はそれは関係ないのですね。そういう体験はどの世代においても有効なのです。

それで大聖師・谷口雅春先生は、こういう事を書いてくださっています。

 

「貴方(あなた)は天才ですよ。立派な能力があるんですよ」の云ってくれる者がなかったならば、貴方自身が絶(た)えず自分自身にむかって、「自分は天才だ、自分は神の子だ、無限の力が宿っているのだ。どんな困難(こんなん)よりも強い力が宿っているのだ」と囁(ささや)きかけよ。暇(いとま)ある毎(ごと)に心のうちでそう唱(とな)えよ。低声(こごえ)で自分の耳に対してそう話しかけよ。(中略)

斯(こ)う云う言葉を、文章を、常に読んでいる者は、常に貴方(あなた)を愛して力附(ちからづ)けてくれる先生や、兄弟を、持っているのと同じことである。ひとが賞(ほ)めてくれないからとて悲(かな)しむに当(あた)らない、ひとから叱(しか)られたとて悲観(ひかん)するには当らない。

(『新版真理』第1巻 116?117頁より抜粋)

褒めてくれなくても、悲観するには当らない、そう思う時は、真理の本を開いて、読むことだ。と、こう教えられてあるわけですね(拍手)。

だから何も子供の頃から、あるいは大きくなってからでも、何も褒める人がなくても、自分が『生命の實相』や聖典をしっかり読めば良い、という事になるわけです。これは聖典、聖経読誦の大いなる功徳であります。

『生命の實相』の偉大さを認めた総持寺の貫首

道元禅師の教えを以ってなる曹洞宗は大本山が2つあり、1つは福井県の永平寺、もう1つは横浜・鶴見の総持寺です。

その総持寺の貫首をしておられた伊藤道海師という方が、『生命の實相』を読まれて、その感想を『宇宙』という雑誌に、「『生命の實相』という本は、言々仏の言葉ならざるはなし。」と書いておられます(拍手)。『生命の實相』に書かれている言葉は、もう始めから終わりまで、悉く仏の言葉ならざるはなしと絶賛なさったわけです。

従って『生命の實相』を読む事は、今から2700年ほど前の釈尊の説法を、また2000年前のキリストの説く山上の垂訓を、そのまま今ここに聴くようなものである。それが『生命の實相』を読む事の功徳であります。

生長の家の教えに触れるという事はかくも偉大なる事であり、大変に有難い、素晴らしい事であって、皆さん方は高橋是清ではないけれども、それ以上に大変に運の好い、幸福な方々であると(拍手)、心から祝福申し上げるわけであります(拍手)。

(次号へ続く)

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