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繁栄ストーリー

私の人生の転機

(有)シオンカンパニー代表取締役 岡山教区栄える会副会頭
        近藤  加代子

近藤加代子

「素直な心」は素晴しい

皆様、ありがとうございます(拍手)。

今日来ていただいた方に何か一つでも、何かのお役に立てばと、そのような思いで話をさせていただきます。

私は、岡山教区栄える会の副会頭と栄える会支部長、それから白鳩会の地区連合会長を拝命しています。

また主人も生長の家の活動をしていまして、相愛会長と地方講師を拝命しており、月に1回ほど講師として出講をさせていただいています。

私の仕事は、エステセラピー、一般的にはエステティックと言われているものです。特に私は“癒し”を目的として仕事に従事しており、お客様のお顔とか体のマッサージをしまして、体も心もリラックスしていただき、今よりも尚、ご自分に自信を持って人生を進んで行かれますようにとの思いを持って、仕事をさせていただいています。

その仕事の一つとしまして、一年程前から洗顔教室を開いています。毎回定員一杯お越しいただき、皆さんにとても喜んでいただいています。内容は、顔の洗い方を勉強していただくだけなのです。皆さんは顔の洗い方なんて習わなくても知っておられます。しかし、本当に心を込めて洗うと随分と違うのです。本当に見違えるように綺麗になるのです。その人の気持ちと言うか、優しさというか、自分を振り返る事が出来ると言うか、本当に変わって行かれるのです。

1冊の普及誌に導かれて

 私が生長の家とのご縁をいただきましたのは12年前です。

エステの仕事でとっても悩み苦しんでいました。色々な事を試みたのですがどうすることも出来なくて、直ぐ近くにある産土神社に縋る思いで参拝に行きました。そうしたら、そこに生長の家で普及誌と言われている月刊誌が置いてあり、その中に練成会の事が書いてありました。

どこにも誰にも相談出来なくて悩んでいましたので、すぐに「あっ、ここへ行こう」と思いました。岡山からは宇治別格本山が近くて、ちょうど1日か2日後に練成会があると書いてありましたので、主人に「ちょっと3日間ほど留守にしますけど、必ず帰って来ますからね」と言い残して宇治へ向かいました。

参加したらもうびっくりしました。何を見ても聴いても、歌を歌っても、とにかく涙が溢れて止まらないのです。何か解らないけれども胸に込み上げてくるものがあって、本当に3日間涙を流しっぱなしでした。

その練成会の講話の中で特に印象に残ったのは、不動産をやっていらっしゃる方が、1億円ほどの借金があって返せないと思われていたけれども、神想観を本気でやって短期間で返せたという話でした。「神想観というのをやれば何でも解決するのだ。大丈夫なのだ」とそう思って家に帰りました。

けれども帰ったらまた宇治に行きたいのです。もっと学びたいという思いがつのり、再び宇治の練成会へ行きました。誰に勧められた訳でもないのに無性に行きたくてたまらなくなるのです。結局1年間練成会へ毎月通いました。それぐらいに惹き付けられるものが感じられました。

後に解った生長の家とのご縁

実は、それから遡って20年程前に、私は生長の家に触れていたのでした。後で解ったのですが、化粧品会社に勤めていた当時、仕事で、ある化粧品店に行きましたら、隣がハリウッド化粧品のコーナーで、そこの方と仲良くなり毎月美容の小冊子を貰っていたのです。その中に徳久克己先生のとても明るい言葉が毎月書いてあったのです。

私は美容の記事よりも、その言葉に惹かれて、それを毎月いただくのが楽しみでした。当時の私から見たら明るすぎる言葉なので、「本当にこういう世界があるのかなぁ? でもあったら良いなぁ」と思って、赤線を引いてファイルしていました。そして自分が何かに困った時にはそれを読むと途端に希望と勇気が湧いて来て、「私はもっと色々な事が出来るのだ」と、元気づけられていました。

それから十数年後のことです。私の家のポストに時々普及誌が入るようになり、それが待ち遠しくてなりませんでした。うまく行かなくて不安が出て来た時に普及誌を読むと、すぐに立ち直ることが出来たからです。それで普及誌はポストにたまにしか入らないので、銀行に普及誌が置いてあった時などには分からないように、書類と一緒に家に持って帰っていました。それぐらい惹かれていたのです。

しかし、私の実家も婚家の近藤家も、代々大本教の信仰をしていました。

それで主人と一緒に大本教の話を聴きに行ったり、泊り込みの練成会のようなものに参加していました。娘も大本教の花嫁学校を2年かけて卒業しました。主人の伯父は大本教の大幹部、それから主人のおばあちゃんは岡山県下を布教に歩いた方だったらしいのです。

大本教が最高だと思っていましたので、自分が頑張れば何とかなる、絶対に何とかしてみせると、そう思い込んでいたものですから、生長の家で真理を学ぶようになるまでには、20年ぐらいの期間がありました。

しかし、いよいよ自分が仕事に行き詰まり、大本教で一晩徹夜で祝詞を唱えたり、お話を聴いて指導して貰ったり、有名なコンサルタントの先生に高額のお金を支払って指導をして貰ったり、最後は高学歴の霊媒師のようなご夫婦とも付き合って指導して貰ったのですが、結局何にも答えは得られませんでした。それで私は、本当に生長の家しかないと思えるようになったのです。

父の出家

 私は6人弟妹の長女として生まれました。実家は農家で父は養子でしたが、本当に真面目にコツコツとよく働く父でした。家族を養うために、父は農業だけでなく、藺草や桃などの栽培、乳牛の飼育など様々な事に挑戦しましたがどれも上手く行かず、子供が成長するに連れて田畑はだんだんなくなって行きました。養子という立場もあり父は辛かったのだと思います。日頃は寡黙な父でしたがお酒を飲むと別人のようになって、母を怒鳴って時には手を出したりしていました。

私が小学生の時に、父は信仰に救いを求めて大本教に入信しました。朝は神様とご先祖様にご飯をお供えし、きちっと正座をして祝詞を唱えておりました。その声を聴くとホッとして学校に行っていた事を思い出します。そして毎月必ず月次祭をして先祖供養をしていました。

しかし私は、経済的にも不遇な暗い家庭環境に劣等感を持ち、早く自立して豊かな生活をしたいと強く思うようになりました。

その父が50歳の時に、突然家族を置いて、大本教に奉仕に上がってしまいました。私は既に結婚していましたので末の妹からその事を聞き、何という事をするのだろうと、父の気持ちが理解できず激しいショックを受けました。父はその後20年余り、大本教の本部で心身共に厳しい下座の行に徹して暮らし、二度と家に帰って来る事はありませんでした。一時期私が父のためにと思って送っていたお金も、全て大本教に寄付していたのでした。今思えば、私がこうして生長の家に触れる事が出来たのも、父が信仰の下地を作ってくれたからだと思うのですが、その頃はそんな深い思いは私にはありませんでした。

美容の道へ

そのような環境に育った私は、豊かになりたいという思いがあいかわらず強く、娘が3歳を迎えると同時に仕事を始めました。22歳の時に使用していた化粧品が原因で顔に黒くシミが出来てしまった事がきっかけで、ある化粧品会社に8年間勤め、その後独立して岡山市内のスーパーの一角を借り、ベッドを一台置いてエステティックの店を開きました。

ひたすら店舗を拡張し経営に失敗

私は家族が皆良い人であるのをよい事に、仕事に没頭して行きました。

3年後には主人に頼んで家を担保にお金を借りて、岡山市内に大きな店を持ち、社員も何人か入れて、ひたすら仕事に打ち込みました。その甲斐もあって仕事は順調過ぎるほど順調に伸び、私は有頂天になって次々と店を増やし、4店舗を経営するほどになり、朝6時から夜12時まで店で働く日々を送っていました。

主人は店の拡張に反対で、随分心配してくれて止めるようにと言ってくれましたが、私がしっかりしていれば大丈夫とばかりに、主人や娘の面倒もろくにみず、独り善がりに仕事にかまけていたのです。

仕事に対する姿勢もいつの間にか、「売上げを上げたい、店を大きくしたい、人に負けたくない」という思いだけになり、仕事を始める頃に抱いていた、「お客様を綺麗にして差し上げたい」という志を忘れ、自分を見失っていました。

私が有頂天でいられるような状態は長くは続きませんでした。やがて社員の問題や、家族同然のように親しくしていた取引先の方とのトラブル等で私は疲れ切ってしまい、どうしたらいいのか分からなくなってしまいました。

美容の仕事から逃げ出したい思いが日増しに強くなって行きました。当時は借入金も八千万円ほど残っていて、借入金を返すためにお店を売却しましたが、それでも借金は二千万円ほど残ってしまいました。最後はどうしてもと言われるお客様だけに自宅でエステをして、後はカーテンを閉めて暗い部屋で寝ている日々が続きました。

私の運命の転換点

そういう時に、産土神社に参拝して普及誌と出会ったのです。その普及誌は自宅の真裏のおばあちゃんが毎月愛行で置いていたらしいのです。また後で気付いたのですが、最初に宇治に行った日が、主人の父の祥月命日だったのです。偶然かなと思いましたが、これもご先祖様の導きだったと今では思っています。

その宇治で、エステティック業界の実力者である河村京子講師にお会いしました。

私は河村講師の控室に飛び込み窮状を訴えました。すると河村講師はいとも簡単に、「色々なやり方があるから大丈夫」と言われ、ご自分が顧間をしておられる金沢市の会社を紹介してくださり、そこへ毎月通い河村講師のお話を伺い指導を受けました。3分の2が生長の家のお話で3分の1が美容に関するお話でした。これが私の運命の転換点になりました。

私はそこに6年ほど毎月通って生長の家の真理の勉強と、エステティックに関する勉強をさせていただき、岡山市でエステサロンを再開する事が出来ました。全く資本もなかったのですが、内装も整った良い店が見つかり、家賃だけ払えばよいという条件で、良い協力者も見つかり、3年程で残りの借入金を返済する事が出来たのです(拍手)。

そして地元の栄える会や白鳩会の組織に入り活動を始めました。先輩方の言われる通り全て「ハイ」と引き受けて実行しました。神想観は勿論、先祖供養も熱心に実践しました。

能力開発の仕事に携わる

ところが借入金を完済した事で何かしらホッとして、エステティックに対する情熱が以前ほど湧かなくなり、またもや「私には何かもっと他に出来る事があるのでは」という迷いが生じて来ました。

ちょうどその頃、世界的にも有名なある能力開発のプログラムに興味が湧いて来て、ハワイで開かれた世界大会に参加しました。そして感動を受けて帰り、自分の仕事として取り組み始め、エステの方はお休みとしました。

しかしその仕事の面白さにかまけている内に、いつの間にか再び成功してお金を掴むという方向に振り回されるようになってしまい、心の底で違和感を覚えるようになって来たのでした。

「経営トップセミナー」に参加して自分の使命に目覚める

そのような時に本部練成道場で開催された経営トップセミナーに参加させていただき、目から鱗が落ちると言いますか、私はやっと自分の使命に目覚めました。私にとって経営トップセミナーは私の意識と行動を変えてくださった大切な行事となりました。

そして、幹部の皆様や会員の皆様の熱い思いに触れて、私も「栄える会の会員を増やそう!」と決意しました(拍手)。

それからは我侭な自分を捨て、4年前に岡山教区栄える会の副会頭を拝命し、10年程前からは毎年普及誌100部を愛行しつつ、会員の皆様の祝福の祈りと先祖供養を行なって参りました。お蔭様で180名ほどの方に聖使命会員になっていただく事が出来ました(拍手)。

父の思いを理解し、感謝する

こうして私が生長の家の御教えに触れる事が出来たのも、父が大本教で20年間、全てを捧げて真剣に下座の行を尽くしてきてくれたその徳のお陰だと解り、心から父に感謝の思いが込み上げて参りました。学生の頃は劣等感に苛まれ、私の家は貧しいとばかり思っていましたが、父が無農薬で作ってくれる新鮮な野菜や果物やお米はふんだんにいただいており、むしろ豊かな生活を送らせていただいていたなぁと感謝の思いが湧いて参ります。そして6人の弟妹もこれ以上の宝はないなぁと思います。自分の体験を通して、当時の父の切ない気持ちが痛いほど解り、心から父に感謝しています。

高齢者に心を込めたエステを

栄える会支部長を3年間務めた後に念願通り次の方にお役を譲り、今年の8月から新しく栄える会の “ひかり支部” を発会しました。そして自分に合った本当の仕事を発見すべく、『真理の吟唱』の「大道無門 自在無礙の祈り」(141?143頁)を毎日の神想観の中で続けておりますが、とうとう私が求めていた本来の仕事に導かれ、良き協力者も現れました。それは若い方だけでなく、たるみや皺が気になる50歳?60歳以上の年を重ねられた方を対象に、心を込めてエステティックを行ない喜んでいただくという仕事です。

岡山駅から電車で一駅の所にマンションを借りて、小さくともお客様の心身の癒しを目的として、真心込めて、高齢のお客様にも、自信を持って人生を歩んでいただきたいと祈りつつ、仕事をさせていただいています。私の体が続く限り、生涯この仕事を続けさせていただこうと決意しています。

今日は私の拙い体験談にお付き合いいただき、ありがとうございました(拍手)。

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