
生長の家非常任参議 組織運動部次長(栄える会担当) 稙田 茂樹

皆様、ありがとうございます(拍手)。生長の家本部で相愛会と栄える会を担当させていただいております、稙田茂樹と申します。よろしくお願いいたします。
今日の「経営トップセミナー」に参加された皆様にまず申し上げたい事は、どうか出来るだけ素直な心になられて、セミナーで聞くことの全てを一度受け止めるという気持ちになってセミナーに臨んでいただきたい。そうすると素晴らしい事になるという訳です。
私も初めて富士河口湖練成道場の10日間の練成会に参加しました時は、初めはなかなか素直になれず、一番後ろの席で、体を斜めにして、反撥しながら講話を聴いておりました。が、講話を聴くうちに徐々に素直な心になっていき、いつの間にか正座をして講話を聴かせていただいておりました。そうすると、お話くださっている深い内容がどんどん自分の中に入って来たというような体験があります。
私は常々申し上げているのですが、規模の大小にかかわらず、会社や商店は強くなければならない。そうでなければ、人類光明化運動どころではない。日本の国も救えないし、自分の家庭も救えない、それどころか自分自身も救えません。どんなに小さな家内工業であるにせよ、会社や商店にはそこに絶対的な強さと言うものがなければならない。
では、その強さはどこから皆様が獲得されるかと言えば、それは、神を我がものとする、という事です。神と繋がるということです(拍手)。
本日のテキストであります、『生命の實相』第8巻觀行篇の40頁の第三章「無限知恵(むげんちえ)を感受(かんじゅ)する道(みち)」には、次の様に書いてあります。
「生長(せいちょう)の家(いえ)」で説(と)く本当(ほんとう)の神(かみ)というのはいっさいの創造主(つくりぬし)、無限知恵(むげんちえ)、無限生命(むげんせいめい)、無限供給(むげんきょうきゅう)の大本源(だいほんげん)であります。神(かみ)の知恵(ちえ)というのは人間(にんげん)の知恵才覚(ちえさいかく)のような小(ちい)さなものではありません。宇宙(うちゅう)に満(み)つる無限(むげん)の英知(えいち)――これが神(かみ)の知恵(ちえ)でありまして、われわれが、神(かみ)に対(たい)して心(こころ)を打(う)ち開(ひら)いた程度(ていど)に従(したが)って、神(かみ)の英知(えいち)が無限大(むげんだい)にわれわれのうちへ流(なが)れ入(い)ってくるのであります。わたくし心(ごころ)がなくなればなくなるほど、計(はか)らい心(ごころ)がなくなればなくなるほど、神(かみ)の英知(えいち)はわれわれの内部(ないぶ)にまっしぐらに流入(りゅうにゅう)して来(き)て、あらゆる点(てん)においてわれわれの導(みちび)きとなってくれるのであります。(後略)
また50頁には、
(前略)人間(にんげん)の真(しん)の発達(はったつ)は、神(かみ)の無限無尽(むげんむじん)の大知恵(だいちえ)に内部(ないぶ)から繋(つな)がることにより、それが外(そと)に形(かたち)にまで顕(あら)われてくることによってであります。(後略)
と書かれております。
私も度々企業の方をお訪ねする事もありますし、また愛知県におりました時には、工場長を9年ほど務めましたので、その間にあちこち営業にも歩きました。さらに別会社の事務所に入ってからは、経理の方も見させて貰った時期もありました。そのようなわけで、会社の経営について少しばかりは学ばせていただき、営業などの難しさについても、自分なりに体験しました。
私が電気設備の仕事をしている会社に勤めて、営業を担当していた時の事でした。ある日本屈指の大企業の工場内プラントの電気を始め、ガスや水道など、全ての設備工事を担当する会社がありまして、私はそこの下請けの仕事が欲しくて、毎週月曜日の朝10時に、その工事会社へ営業に伺っておりましたが、2ヶ月過ぎても仕事の依頼はありませんでした。それでも毎週月曜日には必ず「いつもお世話になっております」と挨拶しながら営業に伺っておりました。そしてついに、小さなまことに小さな電気工事の仕事をいただきました。それでも私は深く感謝しながら、宝物を預かるような気持ちで図面と仕様書をお預かりしました。そしてこれはと思う社員を連れて事前に挨拶に伺い、日曜日に仕事をさせて貰いました。
すると立派な仕事振りだと大変喜ばれました。中でも、色々な電気回路が組み込まれ、針のような電気コードが無数に入っている制御盤の中を、それは見事に綺麗に掃除してくれたと、大変気に入られて、「次の仕事もしてみるか」と、かなり大きな仕事をいただくことが出来ました。それも誠心誠意やらせていただき、それからは毎月、次々と数百万円の仕事を受注出来るようになりました(拍手)。
しかしある時、外注の社員を連れて入った仕事でしたが、こちらのミスで、その大企業の工場のラインが午後になって止まってしまうという非常事態が起きた事がありました。前例に倣えば数百万の保証をしなければならない。慌てて駆けつけて調べてみますと、上から1つずつ電気コードプラグのネジを締めて、カバーをしていく大型制御盤の仕事で、1本のネジの締め具合が弱かったために、機械の振動を受けるうちにそのネジが外れてしまい、それが元でラインが止まってしまったということが解りました。
私は社長と一緒に平身低頭お詫びをし、これでもう次の仕事は来ないなと覚悟をしました。工事会社の工場長さんも不機嫌な顔をしておられましたから。それは日曜日の事で、翌日の月曜日にはまた10時にお訪ねして、「昨日は大変ご迷惑をおかけしました」と工場長に言いましたら、ニコニコしておられる。そして「心配しなくていいよ。仕事はちゃんと出すから」と。「あそこには内の方からも監督に行っているわけだから、あんたの所ばかりの責任じゃない。だから心配するな」と言われるわけです(拍手)。「ありがとうございます」と涙が出るような思いで帰りかけましたら、呼び止められまして、「俺はあんたが最初にここに訪ねて来た時から、ズーッとあんたを見て来た」とおっしゃるのです。
「あんたは、事務所に入ってくる時に必ず入り口で90度に頭を下げて入り、相手をして貰おうと貰うまいと、必ずあんたは帰りがけに私の方を向いて、きちっと頭を下げて出て行った。それをズーッと見ていた。だから、私はあんたを信用して仕事を出すから、しっかり仕事に励んでくれ」と。
こう言われた時には、やっぱり涙が流れました(拍手)。もし私が生長の家のみ教えに導かれていなかったら、2度か3度営業に伺って仕事をいただくことが出来なかったならば、簡単に諦めてふて腐れていたかも知れません。
けれども当時私は既に生長の家のみ教えに触れていましたから、2ヶ月以上、全く仕事が貰えない時も、階段などですれ違う社員の方に対しても、「いつも大変お世話になっております」と頭を下げて挨拶しておりました。そういった日頃の姿勢を、やはり見ている人がいるわけですね。誠心誠意、一所懸命尽くしていれば、必ず報われるという、信念のようなものがあったわけです。だからその会社から仕事が貰えようと貰えまいと、ここと決めたからには礼儀正しく誠心誠意を尽くして行くという事が大切なのです(拍手)。
皆さんは、毎朝祈っておられる事と思います。「なかなか仕事が忙しくて祈っている暇がない」と言う方もおられるかと思いますが、出来る限り時間を割いて、祈るという事が大切だと思います(拍手)。特に経営者の方は、会社の事務所に祀ってある神棚に蜘蛛の巣が張っていたり、榊が茶色に枯れていたりする事がないように気をつけて、しっかり祈っていただきたい。
なぜなら、私達は神様に生かされて生きていると考える他はないわけですから。
我々は当り前のように呼吸をしていますが、しかし酸素の吸入代金を払った事はないし、水がなかったら我々は生きていけないけれども、その代金を払った事はありますか? 水道代を払っていると言うけれども、あれはその設備代や水道事業に携わっている方々の人件費であって、水そのものの代金ではありません。全て天の恵みです。神の愛、仏の慈悲をいただいて、我々は生かされているわけです。それが解れば、「ありがとうございます」と感謝の生活をさせていただくのは当り前の事なのです。この道理から外れてしまったら、そこには会社の繁栄も、我々の幸福もあり得ないという事です(拍手)。
それなのに、色々の不都合が出て来るその原因はと言うと、それは全て我々の心の持ちようなのです。お釈迦様の言葉をお借りすれば、「唯心所現」、「ただこころ、ところあらわる」という事です。すべては自分の責任であるという事です。
こんな話が谷口清超先生著の『人生の断想』の「祈りと奇蹟」の中に紹介されています。
それは、ある難破船が永い間海上を漂流していた。何とか早く救助されたいものだと、船員達は皆一心に神に祈ったけれども、どこからも救いの手が来ない。船員達は喉が渇いて今にも渇死しそうになっているけれども水がない。なぜなら大海原は広がっていても、塩水だから飲めない。ところがやっと一艘の船に救助されて、水を乞うたところ、救助船はスルスルとバケツを水中におろして水を汲み上げると「飲め」と勧めた。訝りながらも飲んでみると少しも塩辛くない。この奇跡はどうした事かと尋ねると、この付近の海域には、大アマゾンの真水が大量に流れ込んでいるために、海の水は押し流されていくらでも飲めるのだと。つまり船員達は飲める水の充満している海に漂いながら、飲めない海の水だと思い込んでいたために、まさに渇死寸前に陥っていたのだと。
この話の示唆する所は、我々の日常においてもこれと同じ事があるという事なのです。
つまり神様は、我々の生活に、企業活動に必要なものは、全てふんだんに与えておられる。それにもかかわらず、我々はそれを認めず、いたずらに取り越し苦労をし、恐怖心を抱いて苦しむ。そして時として、悪い事が起きると、それを人のせいにする、責任転嫁の生き方になってしまう。取引先や、同業他社や、従業員のせいにする。こうなるとその会社は殆ど先行きが暗いです。責任転嫁、利己主義は、繁栄の大敵です。
そうではなくて、常に神と繋がり、神をバックボーンにして仕事をなさる、利他主義の経営こそ、繁栄の基になるわけですね。
さて、本日のテキストであります、『小閑雑感part10』の247頁をお開きください。ここには平成19年の「谷口雅春大聖師22年祭」の時の谷口雅宣先生のお言葉が書かれております。その中で先生は、大聖師が総本山の自然をこよなく愛された事、練成会の献労等で我々もこの地の自然に親しむ事ができる幸せを説かれ、21世紀最大の課題である、地球環境問題の深刻さを実例を沢山挙げて示しておられます。そしてその被害を受けるのは、貧困層の人々であると説かれた上で、
(前略)こういう時代が来ないためには、今から、すべての人間が、自分のできるところから、できるだけ自然に負担を与えない生活を自ら実践する必要があるのです。(中略)日本人は伝統的に、自然との一体感を大切にして生きてきました。宗教的にも自然の中に神仏を見る生き方が、神道や日本仏教の大きな特徴でした。日本の「実相顕現」とは、だからそのような日本古来の感性を、地球温暖化時代の現代に、もっと顕著に顕わしていくことでもあります。(後略)
(『小閑雑感part10』249頁)
とお説きくださっています。生長の家は立教の当初から「天地の万物に感謝せよ」という教えであります。我々は言行一致、会社や商店の経営の中にも、その教えを実践して行かねばなりません。
どうぞ皆様、心を神に振り向けて、神のみ心のままに経営に携わり、あるいはお勤めさせていただくという思いで月々を喜びのうちにお過ごしいただきたいと思います。ありがとうございました(拍手)。